足利冬氏
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足利 冬氏(あしかが ふゆうじ、生没年不詳)は室町時代初期の人物。足利直冬の嫡男と伝わる。中国武衛、善福寺殿と称される。かつて直冬が勢力を扶植した備中国井原荘(岡山県井原市)の辺りに住み、その地に臨済宗善福寺を開基したため、善福寺殿と呼ばれるようになったと思われる。母は法名を広福寺殿玉峯明金尼長老というが本名、出自などは不明。子に嘉吉の乱で赤松満祐に大将として擁立された足利義尊、その弟で備中国から播磨国に入国を試みて失敗し殺された足利義将がいる。冬氏の兄弟は全て僧籍にあり、なかでも直冬の末子と伝わる宝山乾珍が有名である。
[編集] 参考文献
- 瀬野精一郎 『人物叢書 足利直冬』(吉川弘文館、2005年) ISBN 464205233X