足利義純
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足利義純(あしかがよしずみ、安元元年(1175年)~承元4年10月7日(1210年10月26日))は、鎌倉時代の武将。畠山氏・岩松氏の祖。通称太郎、畠山義純ともいう。足利義兼の子で、弟に桃井義助、足利義氏がいる。子に、岩松時兼、畠山泰国、田中時朝がいる。
足利義兼の庶長子であるが、義純は大伯父新田義重に新田荘にて養育されたという。畠山重忠が元久2年6月22日(1205年7月10日)に北条氏の手により粛清されると、義純は重忠の未亡人(北条時政女または、重忠の娘)と婚姻し、重忠旧領と畠山の名跡を継承した。
義純は元々、新田義兼(足利義兼と同諱の従兄弟)の娘と結婚しており、子(岩松時兼)も儲けていたが 、妻子を義絶しての継承であった。これにより桓武平氏の一つ、秩父平氏の流れを汲む畠山氏は、清和源氏の一つ河内源氏の一系・足利氏一門として存続することとなった。