道頓堀劇場
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道頓堀劇場(どうとんぼりげきじょう)は、北海道札幌市すすきの、東京都渋谷区に存在するストリップ劇場2ヶ所のこと。区別のため札幌道劇、渋谷道劇ともよばれる。ロック座、東洋ショー劇場などと並んでストリップ業界大手の一角を占めている。
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[編集] 歴史
1970年1月に渋谷道頓堀劇場が開場する。一説では、名称を「道玄坂劇場」にする予定であったが劇場看板を製作する際に看板業者のミスで「道頓堀劇場」という看板が完成してしまったのをそのまま使用したのが名称の由来といわれている。
開館から数年の間は、SMや本番ショーといった関西ストリップ系の過激な出し物が中心となっていたが、1985年に風営法の改正がなされ、風俗業界への取り締まりが強化されるに及んで道頓堀劇場も大幅な路線転換を余儀なくされる。
そこで従来の過激路線から完全に脱皮を図り、著名な文学作品や演劇作品などをモチーフとして、いわゆる芸術的な要素を前面に押し出した集団劇形式のステージを行うようになった。また、同時期にスカウトされた清水ひとみ(現・道頓堀劇場代表)をはじめ、影山莉菜や美加マドカといった若くて綺麗な踊り子を順次加入させ、ストリップ業界におけるアイドル路線の嚆矢となっていった。とりわけ、清水嬢は雑誌やスポーツ紙などマスコミにも大きく取り上げられるほどの人気を博し、1986年にストリップ嬢を引退した後は女優に転進し、テレビドラマなどへの出演を果たすなど道頓堀劇場の知名度・地位の向上に大きく貢献する。またこの時期に劇場の幕間コントで出演していたコメディアンから後にビッグネームに育っていった者も少なくない。(後述)
こうして劇場が隆盛していった矢先、地権者から劇場の立ち退きを要求され、1995年末をもって渋谷道頓堀劇場はいったん閉館を余儀なくされる。その後清水嬢をはじめ劇場関係者の尽力により、1999年2月に札幌道頓堀劇場をオープンし、道頓堀劇場として再び旗揚げを果たすことが出来たのである。そして2001年6月にはかつて渋谷道頓堀劇場があった土地建物を買収し、渋谷道頓堀劇場を再びオープンさせることに成功したのである。
[編集] 札幌道頓堀劇場
北海道札幌市中央区に所在する。(詳細な地図等は道頓堀劇場ホームページ等を参照のこと)
[編集] 渋谷道頓堀劇場
東京都渋谷区道玄坂百軒店の坂の途中に所在する。(詳細な地図等は道頓堀劇場ホームページ等を参照のこと)
札幌の道頓堀劇場においてはSM大会がある週があるが、渋谷道頓堀劇場ではSM大会や素人大会は開館以来開催されていない。(2006年1月時点)
ストリップもさることながら、かつてはコメディアン・杉兵助が所属していたこともあり、幕間コントにも注力していた時期がある。ここから巣立ったコメディアンとして、コント赤信号(渡辺正行・小宮孝泰・ラサール石井)、はらみつお、中村有志、ダチョウ倶楽部(肥後克広・上島竜兵・寺門ジモン)、南部虎弾、楠美津香らがいる。
[編集] 主な所属ストリッパー
(敬称略)
[編集] 外部リンク
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