遠山九字直違
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遠山九字直違(とおやまくじちがい)は、明知遠山氏、武蔵遠山氏が利用していた家紋である。
明知遠山家の分家にあたる遠山景元が南町奉行所に配属された後に利用されるようになった可能性が高い。
[編集] 史料による見解
遠山家譜に「祖先が禁中に奉仕した栄誉の記念に禁廷の蔀格子を紋章化した」という文章から、家紋が制作された時期は、明知遠山氏の遠山景行以降によるものであると考えられる。また奉行所に勤めていた遠山景元を讃えて利用したものではないかとも言われる。
中世中国の神仙家の書物である『抱朴子』に九字について記述されている。この九字がいつしか真言、修験者、忍者に九字護法身の法として伝わる。この九字護法身の法は、大気上に横五本、縦四本で書き表すことから、それを用いて家紋にしたのではないかとも言われる。
明知遠山氏、武蔵遠山氏のどちらかが先に制作し利用していたのかは、未だにわからないが明知遠山氏の分家のひとつが武蔵遠山氏と考えるなら次の節に記述する言い伝えに納得するといえよう。
[編集] 家紋の言い伝え
この家紋を利用している明知遠山氏の話では、直家から分家が発生した数が9つであった為、9つの線になった。また、葬儀で一族の墓に埋葬されるものは長男のみであったが、1999年に遠山景久が死去してからは、長男以外でも一族の墓に埋葬されるようになった。