遠藤常久
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遠藤 常久(えんどう つねひさ、1686年5月26日(貞享3年4月5日) - 1693年5月5日(元禄6年3月30日))は、美濃八幡藩の第5代藩主。第4代藩主・遠藤常春の庶子。幼名は岩松。
元禄2年(1689年)、父が謎の死を遂げたため、その後を継いで藩主となった。このとき、常久と改めている。しかし元禄6年(1693年)3月晦日(異説では3月20日、4月晦日などもある)、7歳の幼少で死去した。死因は重臣・池田主馬の毒殺であった(表向きは疱瘡)。池田は常久を毒殺して自分の子を藩主に擁立しようと陰謀を企てたらしい。しかし他の重臣が真実を知って猛反対し、この一連の騒動も幕府に露見して遠藤氏は取り潰し寸前となったが、藩祖である遠藤慶隆の功績などが考慮されて、特別に一族の遠藤胤親が1万石(三上藩)で後を継ぐことで存続を許された。
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