那須光資
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那須光資(なすみつすけ、生没年不詳)は鎌倉時代の人物。下野那須氏五代当主。四代当主那須頼資の子。六代当主那須資村の父。肥前守。太郎。
建久4年(1193年)、源頼朝から下野国内に領地を拝領し、さらに那須において巻狩を催した際、接待役を務め、鎌倉幕府の御家人としての那須氏の地位向上に努めた。正治元年(1199年)には領内に天性寺を創建している。
なお、建久4年に催された那須巻狩の際に、那須与一が梶原景時といさかいをおこし、出家遁世したという説があるが、吾妻鏡のその前後の時期の記述には「那須太郎光助」しか登場しない。
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