吾妻鏡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『吾妻鏡』(あづまかがみ)は日本の中世、鎌倉時代に成立した歴史書である。「東鑑」とも書く。全52巻、ただし第45巻は欠落している。鎌倉時代を研究する上での基本史料である。
源頼政の挙兵(1180年)に始まり、治承・寿永の乱、鎌倉幕府成立、承久の乱を経て13世紀半ばに宗尊親王が帰京する(1266年)まで、武家政権や社会の動きを将軍の代ごとに日記形式で記述する(漢文)。(従って鎌倉末期の例えば文永の役=1274年などの記述は無い)
かつては鎌倉幕府の公式日記と考えられたこともあるが、おそらくは北条氏(金沢家)や安達氏など幕府内部の有力者が、幕府・御家人の記録をはじめ、公家や寺社の文書も参照し、鎌倉末期に編纂したものと考えられている。
後世の武将などにも愛読され、もと後北条氏が所蔵していた写本(北条本)が1603年、徳川家に献上された。徳川家康は欠落部分を他の大名家から集め、1605年(慶長10年)に『吾妻鏡』を木活字で刊行した(51巻、伏見版と言われる)。家康の座右の書として、幕府運営の参考にしていたという。
目次 |
[編集] 頼朝の死
源頼朝の死亡時期の記事がないなど、欠落している箇所もあり、他の史料も合わせて参照する必要がある。こうした欠落が偶然散逸した結果なのか、意図的に抹殺されたのか等、議論が分かれるところである。また、ある伝承によると、源頼朝の最期が不名誉な内容であったため、家康が「名将の恥になるようなことは載せるべきではない」として該当箇所を隠してしまったともいう。
[編集] 参考文献
- 五味文彦『増補 吾妻鏡の方法―事実と神話にみる中世』(吉川弘文館、2000年) ISBN 4642077715
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の歴史書 | 鎌倉時代 | 歴史関連のスタブ項目