郷御前
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郷御前(さとごぜん、仁安2年(1167年) - 文治5年閏4月30日(1189年6月15日)は平安時代末期~鎌倉時代初期の女性。河越重頼の娘。源義経の正妻。伝承で郷御前と呼ばれている。本名は分かっていない。
元暦元年(1184年)9月、京にいた義経に嫁して正妻になったため京姫、京御前(郷御前)と呼ばれた。
義経が京を落ちて奥州へ逃れると、郷御前もこれに従う。
文治5年閏4月30日、義経が藤原泰衡に衣川館を攻められると、義経は妻とその間にもうけた娘(4歳と伝えられる)を刺して自害した。
平時忠の娘は伝承で蕨御前と呼ばれている。
- 延享4年(1747年)の人形浄瑠璃『義経千本桜』(後に歌舞伎化)では「卿の君」とされ、逃避行の直前、京の堀川御所で死亡したことになっている。
- 昭和52年(1977年)の『義経(上)(下)』司馬遼太郎 文春文庫 では「郷(さと)」、「郷御前」とされている。
- 平成5年(1993年)の『源義経の妻』藪景三 新人物往来社 では「志乃」とされている。
- 平成17年(2005年)のNHK大河ドラマ『義経』では「萌」とされ、鎌倉へ返されたことになっている。
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