野暮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野暮(やぼ)とは、洗練されていないさまである。歴史的には「いき」の反対の形容であるが、「いき」よりもさらに日常語として広く使われている。そのため、「野暮でないから『いき』である」とはいえない。
目次 |
[編集] 現代における「いき」・野暮
「いき」は現代ではしばしば拡大解釈されており、ファッション雑誌などに乱用されるように、正確な意味を把握していないことも多い。しかし、野暮の意味するところは比較的共通理解があるといえる(具体的な内容についての見解の相違があるとしても)。
「いき」についてもあてはまるが、特に野暮に関しては「日本の美的判断」に留まらない。たとえば、実際に日常会話では日本のものであるかどうかとは無関係にファッションが野暮であるかどうかが話題になる。
野暮という形容は、服装、金銭への執着、くどくどしい説明などについて用いられる。また、(機能美までに至らない)実用性の重視、ブランドへの無批判な信仰と依存も野暮といえる。時代遅れのファッションは、いまだレトロとみなされない場合は、野暮と見られる。キッチュは、俗悪という点では野暮に類似した面もあるが、「奇妙さ」が徹底しており、突き抜けている点において、かえって肯定的な美的評価がされることがある。しかし、レトロやキッチュと混同されていないかぎり、野暮であること自体に肯定的な美的評価がされることはない。ヘタウマや脱力系も、また野暮とは異なる。
江戸時代の感覚では、くどくどしい場合は「気障(きざ)」を使うことが多かった。
[編集] デザインの観点
デザイン的に、「わかりやすいこと」が野暮とみられることもある。たとえば、ファッション性を重視する電子機器では、ボタン類をあえてわかりにくいように小さくデザインすることがある。このような傾向に対して、高齢者を対象とし、野暮ったくなることを承知の上で、あえて「わかりやすさ」を優先させたデザインもラジオ、携帯電話などである。
また、現在の日本では「日本語が野暮」という無意識的な刷り込みがある。これは異文化を粋とする傾向が、拡大されたと考えられる。例として、車をはじめとするあらゆる製品名でカタカナ語を使う傾向にみられる(外国映画のタイトルなどはその最たる例である)。このような製品では、ボタンの名称などでも日本語を使わず、(その必然性がないにもかかわらず)欧米語などを使っている。
[編集] 具体例
- 本来ならば情緒ある風景に、目立つ看板をいくつも立てる行為
- 規則に固執する役人根性 <=> 「いき」な計らい
- (特に男女間の関係への第三者的関与での)配慮の欠如
- 「おや、お出かけですか」という問いに、「いや、野暮用で…」と答えることがある。こうした場合、重ねて「野暮用って?」などと聞くのはそれこそ野暮である。
- 過剰な多機能、手回しがよすぎる <=> シンプルな所持品