釜ヶ崎
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釜ヶ崎は大阪市西成区の一地域である。 行政・メディア等は「あいりん地区」と呼ぶ。
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[編集] 地理
西成区太子、萩之茶屋、花園北、山王、天下茶屋1丁目あたりを釜ヶ崎という通称で呼ぶ。
[編集] 歴史
旧西成郡今宮村釜ヶ崎が原点である。行政区画の変更に伴い釜ヶ崎という地名は消滅したが、地元では地域を指す言葉として「釜ヶ崎」もしくは「釜」という通称を使う人が多い。
[編集] 住民登録問題
2006年12月6日 失跡中の福岡県警の元警察官がインターネットを通じて入手した西成区の無職男性名義の住民票などを示し、男性になりすまして転居届を京都市に提出していたことが発覚した。逮捕された男の前住所を調べる中で釜ヶ崎解放会館の住所に約3300人もの住民登録がなされていることがわかった。
2006年12月20日 釜ヶ崎支援機構に129人、ふるさとの家に27人が架空登録していたことが新たに判明した。
2006年12月27日 釜ヶ崎支援機構とふるさとの家は大阪市に慎重な対処を求める要望書を提出した。
2007年1月23日 大阪市は居住実態のない住民登録を職権で削除することを正式に決めた。
2007年1月24日 大阪市は釜ヶ崎解放会館に立ち入り調査しようとしたが労働者らの抗議で阻止された。
2007年2月15日 労働者と支援者ら約40人が今春の統一地方選での選挙権がなくなるなどとして住民登録の削除に反対する約600人分の署名を提出しようと大阪市役所を訪れたが、1階市民ロビーで市長室へ行くのを阻もうとする市側の警備職員との間でもみあいになり一時騒然とした。
2007年2月23日 大阪市は住民登録を現在も継続している2648人に対し、住民登録を抹消することを通知する「住民票消除予告書」を発送した。市から登録者に対する最後の通知となり、3月2日までに連絡がない場合、同日以降に住民登録を抹消することになるという。
2007年2月26日 デモ行進を行った労働者や支援者らは大阪市役所前での抗議の座り込みを夕方まで続けた。居住実態のある場所を届け出ない場合、3月2日にも登録を抹消する方針の市に対し、2日まで市役所前で抗議を続ける予定だ。
2007年3月9日 大阪市は労働者側と協議を開いた。今月中の登録抹消方針を繰り返す市側に対し、労働者側は「従来認めていた登録や選挙権をなくすな」などと反発、話し合いは平行線に終わった。
2007年3月16日 関淳一市長が定例記者会見で住民登録削除については24日以降に対応を決めることを明らかにした。
2007年3月23日 大阪市が設定した3週間の登録抹消延期期間が終了した23日、この間に正規の住所地に住民票を異動させたのは約200人だけでなお約2200人が施設に住民登録していることがわかった。
2007年3月26日 大阪市選挙管理委員会は関淳一大阪市長あてに早急に住民登録の適正化を図るよう求める依頼書を提出した。
大阪市が登録を抹消するのは違法として、労働者の男性(57)が抹消の差し止めを求める訴えを大阪地裁に起こした。判決が確定するまで抹消を差し止める仮処分も併せて申し立てた。
2007年3月29日 大阪市は住民基本台帳法に基づき登録の抹消手続きを行った。
[編集] 学校
[編集] 保育園
- わかくさ保育園 萩之茶屋2丁目9-2
[編集] 小学校
- 萩之茶屋小学校 萩之茶屋1丁目11-15
- 弘治小学校 花園北2丁目16-26
[編集] 中学校
- 今宮中学校 花園北1丁目8-32
[編集] 大学
- 米国UNION神学大学日本連絡所 萩之茶屋3丁目4-23
[編集] 主な施設
西成区萩之茶屋2丁目4番2号
西成区萩之茶屋3-1-12
西成区萩之茶屋1丁目3-44
西成区萩之茶屋1丁目3-44
西成区萩之茶屋1丁目3-44
- 西成市民館
西成区萩之茶屋2丁目9-1
- 太子会館・老人-憩の家
西成区太子1丁目8-6
- 愛隣会館
西成区太子1丁目15-17
[編集] 主な団体
- 釜ヶ崎支援機構 萩之茶屋1-5-4
- こどもの里 西成区萩之茶屋2-3-4
- 社会福祉法人釜ヶ崎ストロームの家のぞみ作業所 萩之茶屋2丁目11-15
- 釜ヶ崎地域合同労組 萩之茶屋2丁目5-23 稲垣浩委員長
- 21世紀イエスキリスト釜ヶ崎福音教会 萩之茶屋3丁目6-6-303
- 釜ヶ崎炊き出しの会 萩之茶屋2-5-13 稲垣浩代表
- 釜ヶ崎勝ちとる会 天下茶屋北2丁目6-14-101
- 釜ヶ崎のまち再生フォーラム 太子2-2-16
- 釜ヶ崎講座
[編集] 文献
- 釜ヶ崎資料センター、1993『釜ヶ崎:歴史と現在』三一書房
- 南和子・亀岡照子、1998『釜ヶ崎の保健婦』清風堂書店出版部
- 定点観測「釜ヶ崎」刊行会、1999『定点観測釜ヶ崎:定点撮影が明らかにする街の変貌』葉文館出版
- 斉藤俊輔、1996『釜ヶ崎風土記』葉文館出版
- 杉原薫・玉井金五、1986『大正大阪スラム -もうひとつの日本近代史』新評論
- 木佐貫亜城、2000『実録シャブ屋』ぴいぷる社
- 高幣真公『釜ヶ崎赤軍兵士 若宮正則物語』彩流社
- 武田麟太郎 釜ヶ崎
- 木賃宿街「釜ヶ崎」の成立とその背景
- 寄せ場のストリートライフ
- スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後
- GISを用いたホームレス居住圏の分析と都市政策
- 「動物」から見える釜ヶ崎
- 1950-60年代の港湾運送業における寄せ場・釜ヶ崎の機能
[編集] 行事
- 釜ヶ崎メーデー
4月30日前夜祭
5月1日釜ヶ崎メーデー
- 釜ヶ崎夏祭り 場所 三角公園(萩之茶屋南公園)
8月12日前夜祭
8月13日~15日釜ヶ崎夏祭り
- たそがれコンサート 場所 三角公園
- げんきまつり 場所 三角公園
[編集] 釜ヶ崎用語
- あおかん
- 野宿
- あんこ
- 日雇労働者。語源は普段は眠っているが目の前に美味しいエサが現れるとパクッと食らいつく魚のアンコウを表していると言われている。おっちゃん達もゴロゴロしていてたまに仕事にパクッと行くから。
- けいやく
- 10日とか20日というように一定の期間を区切って飯場に入り働く。
- けたおち
- ひどい。(日当が)安い。
- げんきん
- 現金日払いの仕事。
- しけはり
- ヤクザの賭場の見張り役。警察の手入れやらヤバい人間が歩いてくると「しけーしけー」と仲間に注意をうながし安全ならば「てんてん」である。
- とんこ
- 工事現場や飯場などから逃げること。
[編集] その他
- 映画『あたりや大将』の舞台になった、かつて当たり屋銀座と言われていた場所は、この近く南霞町から今池の間あたりにあった。
- あいりん地区としての整備のために太子町、山王町から町名が剥奪され、太子、山王にそれぞれ変わった。(昭和41年~昭和48年)
- がめつい奴(1960年公開の映画)
- 極道釜ヶ崎に帰る(1970年公開の映画)
- 釜ヶ崎極道(1973年公開の映画)
- じゃりン子チエ 萩之茶屋が舞台の漫画。
- 釜ヶ崎人情 作詞:もず唱平 / 作曲:三山敏 昭和42年、三音英次が歌いヒットさせた日雇い労働者の唄。
- TBS報道特集密着!簡易宿泊街の病院24時