闕所
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闕所(けっしょ、または「欠所」と書く)とは、前近代において財産没収刑又はその刑罰により所有者がいなくなった所領のことである。
刑罰としては、重罪に付加される財産の没収刑であり、財産刑のひとつである。田畑、家屋敷、家財を根こそぎ収公(没収のうえ、お上の財産になる)するものである。
江戸時代は磔、火罪、獄門、死罪、重追放に対して田畑、家屋敷、家財を没収。中追放は田畑、家屋敷が、軽追放 は田畑がそれぞれ没収になった。利欲にかかる犯罪では江戸十里四方追放や所払でも田畑、家屋敷が没収となった。
江戸幕府には大目付の下に闕所によって接収した物品を売却するための闕所物奉行という役職も設置された。なお、家財には該当者の持つ債権・債務が含まれていたが、その扱いは没収する領主側に一任されており、事務の煩雑を理由に債権が放棄されて債務者が結果的に救済される例や逆に当該者が多額の債務を抱えていながら領主側が闕所財産を清算して債権者に配分する意向のない場合には、債権者には事実上の泣き寝入りを迫られた。
また、欠落(出奔)した場合にもこれに準じて闕所が行われて田畑、家屋敷、家財の没収が行われた。だが、江戸時代中期以後には犯罪を犯していない農民の欠落でなおかつ当該者に相続人がいる場合には農業経営に必要な田畑、家屋敷などの没収は免除されて債権・債務などのみが没収される(結果的には欠落農民の相続人は主要財産はそのまま継承して借金だけが免除される)という奇妙な規定が登場するようになる。これは農業経営の存続を保証することで年貢負担の担い手である農民の土地への復帰を促すための政策の一環であり、闕所によって家族が存在しても家財のほとんどが没収された欠落した武士や商人などとは扱いが違っていたと言える。
闕所で有名な事件は、1595年(文禄4年)の園城寺(三井寺)や1705年(宝永2年)の淀屋辰五郎の件があげられる。
[編集] 参考文献
- 高柳真三 『江戸時代の罪と刑罰抄説』(有斐閣、1988年) ISBN 4641040990 )