阿蘇惟光
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阿蘇 惟光(あそ これみつ、天正10年(1582年) - 文禄2年(1593年))は阿蘇氏22代当主(阿蘇神社大宮司)。阿蘇惟種の子。
1584年、父・惟種の死を受け当主となった。しかし幼年のうえ、翌1585年には宿老・甲斐宗運が死去してしまう。同年島津義久の侵攻を受け、降伏。まもなく母親に連れられて弟の惟善とともに目丸山に逃亡した。
豊臣秀吉の九州征伐が始まると保護を求め、惟光は佐々成政、次いで加藤清正にその身柄を預けられた。わずかながら領地も与えられるが1593年、梅北一揆が起こると、島津歳久や梅北国兼らとの結託を疑われ、花岡山にて斬首された。