阿部賢一
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阿部 賢一(あべ けんいち、1890年 - 1983年)は経済学者、ジャーナリスト。1903(明治36)年から1908(明治41)年までの5年間を同志社普通学校で学ぶ。同窓には湯浅八郎がいた。同志社を出た後早稲田大学大学部政治経済学科に進学。1912(明治45)年同学科を首席卒業。同年設立された同志社大学に講師として赴任する。10年間同志社大学で講師、教授を務めた後請われて早稲田大学に移籍。1935(昭和10)年まで政治経済学部で教鞭をとる。その一方でジャーナリストとしても活躍。岳父徳富蘇峰が主宰する『国民新聞』記者、『東京日日新聞』論説委員、主筆などを歴任した。戦後早稲田大学に復帰。1951(昭和26)年から1961年(昭和36)年まで講師、常任理事、評議員会会長。1966(昭和41)年5月には総長代行として再び復帰、同年9月総長就任。大学紛争の解決に粉骨砕身し、機動隊の手に委ねることなく封鎖解除を成し遂げることに成功した。勲一等瑞宝章。