須田長義
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須田 長義(すだ ながよし、天正7年(1579年) - 元和元年(1615年))は、上杉氏の家臣。須田満親の子。官位は大炊頭。
上杉景勝に仕え、越後須田城を領した。1598年、景勝が会津に移封されると、梁川城代となった。1600年の関ヶ原の戦いでは福島口の守備を担当し、上杉領に侵攻して来た伊達政宗の軍勢を迎撃する。10月6日の戦いで福島城は伊達勢に包囲され、城方将兵三百余の死者を出していたが、車丹波らの部隊は、国見山へ引き揚げ中の伊達の後続の小荷駄隊を急襲し、小荷駄奉行の宮崎内蔵助と人足勢を大いに打ち破るという武功を挙げた(松川の戦い)。
1615年に死去。享年37。