頸城トンネル
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頸城トンネル(くびき-)は新潟県内の北陸本線にあるトンネルである。
[編集] 概要
能生駅~名立駅のほぼ全ての区間がこのトンネル内である。全長11,353mで、途中には筒石駅が存在する。
元々、この付近の地形は山地が海岸まで張り出し、北陸本線はその山地と海に挟まれた僅かな場所を縫うように海岸沿いに走っていたが、日本有数の地溝帯であるフォッサマグナに位置するために地盤が脆弱で地すべり事故が多発していた。その中でも最も大きかったものとして、1963年(昭和38年)3月16日には能生町小泊地区(能生~筒石間)において大規模な連続地すべりが発生し、たまたま現場を通りかかった敦賀発直江津行き普通225列車(機関車1両、客車7両編成)が地すべりに乗り上げた後に機関車と客車1両が埋もれた集落の上を海岸付近まで流される惨事となった。列車が最初の地すべりに乗り上げてから次の地滑りによって流されるまでに約20分ほど時間的猶予があったために(迅速な避難が行われ)15名の軽傷者を出しただけで済んだが、約170m流されて泥土に埋まったSLは海岸でそのまま解体されることになった(この地すべりで小泊地区は死者4名、負傷者数名、家屋全半壊29戸の被害を出し、北陸本線は路盤の補強工事レベルから見直したため開通までに20日間をもかけざるを得なかった)。このような事故が発生し、なおかつ地質学的に今後も地すべり等の被害が発生する可能性が高いと予想された為に、新線付け替えは焦眉の急を要した。
この地域の電化・複線化に際しては、海岸付近を経由する従来の単線ルートでは、前述したような地滑りの被害が予想されたことと、海岸至近を走る為に波浪等の影響や電化設備の塩害も無視できないこと、地形的に狭隘な場所を通っているために複線化のための用地を確保するのが非常に困難な事などから、この区間を一直線にトンネルで抜ける経路に切り替えたことでこのトンネルが完成した。この地域周辺はフォッサマグナの西端である糸魚川静岡構造線付近にあたり、地質的にきわめて不良な多くの破砕帯をもった岩盤構成であったためにトンネルのルートの選定は長期間かけて慎重に行われ、トンネルの出入り口も地すべりが起こる可能性の低い地盤の安定した箇所に設けられた。工事は、岩盤が前述したように破砕帯の多い不安定な状態であるため難航を極め、鉄砲水はおろか石油が湧き出した地点もあったという。
本トンネル、及び本トンネルを含む電化複線の新線は1966年(昭和41年)3月に着工され、1969年(昭和44年)9月29日に供用を開始したが、同時に地上にあった筒石駅は保安面の管理の役割も兼ねて本トンネル内に移転設置することになり、長い階段を上り下りして地表との間を結ぶ駅となった。また、能生駅、名立駅についても、複線電化後のルートがそれまでより山よりを経由する為、本トンネル両端出入り口直近に設置された新駅への移転を余儀なくされた。
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