高麗史
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高麗史(こうらいし)は、朝鮮の高麗王朝(918年-1392年)のことを記した紀伝体の官史。編纂は李氏朝鮮の鄭麟趾(テイ・リンシ)らによって行なわれ、文宗元年(1451年)に完成した。成立の際、高麗国王歴代の実録をはじめ多くの公私文書[1]・書籍が参照されたが、すべて焚書または消失[2]し、大部分は現存しないので、この『高麗史』と独立に編纂された春秋館編纂の編年体の形式『高麗史節要』(1452年)が、高麗時代の史書となる。
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[編集] 構成
高麗史は
- 世家 巻第1 - 巻第46 初代太祖から恭讓大王までの王の記録
- 志 巻第1 - 巻第39(天候気候、天文等)
- 志のうち、巻24 樂一には雅樂 巻25 樂二には俗樂 三國俗樂 用俗樂節度が記載されており、高麗史樂志ともよばれる。
- 表 巻第1、2の2巻(高麗の宗主国の暦年と高麗暦年の表)
- 列伝 五十巻の50巻 后、子、重臣、逆臣等
合計 137巻となっている。
[編集] 脚注
- ^ 朝鮮王朝実録に相当する高麗王朝実録があったとされる。この実録の存在は、世宗実録からも存在が確認されるが、高麗史成立後の存在は不明となっている。具体的には、高麗の実録は世宗 22年までは忠州開川寺史庫に收藏されてから 高麗史纂修のために京中に輸送されて、纂修が終わった後の行方ははっきりしない。 出典は[1]である。 また史庫に関する詳細は、 [2]を参照されたい。 なお、焚書された元天錫の「野史」6巻によれば、高麗史は高麗王朝実録の書き換えであり、「高麗実録」を「高麗史」に書き換えた事情が書かれ、高麗末の禑王は辛旽の子ではなく、恭愍王の子と書かれていたという。現存は転記の耘谷集等詩歌の部分と記録のみである。
- ^ 李氏朝鮮 太祖の時代に 「書雲觀」等の記録を焚書した。さらに一般民の史書の所持と輸入は厳しく禁止していた。具体的には明朝會典 皇明通紀 明紀輯略等多岐にわたる。 例えば、平安道の儒生 桂徳海が中国からの史書を所持していた事件(1771年)で断罪されている。
[編集] 関連項目および参考文献
- 高麗史節要
- 高麗王 王の系図
- 高麗王后 王妃の一覧など
- 高麗年表 高麗王朝と周辺国の年表
- 歴史書一覧
- 倭・倭人関連の中国文献
- 倭・倭人関連の朝鮮文献
- 古代朝鮮半島関連の中国文献
- 高麗史編纂始末(申奭鎬、韓國史學會)
- 麗朝忠烈錄 編者未詳 2冊 筆寫本(ソウル大学奎章閣 Ref.奎12713)
[編集] 外部リンク
- 近代デジラタルライブラリ(国会図書館)
- 国会図書館 『 高麗史 (鄭麟趾 奉敕修)』は著作権保護期間満了の裁定を受け、近代デジラタルライブラリで見ることができる。
- 奎章閣韓国学研究院(ソウル大学、木版本)
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