魏咎
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魏咎(ぎきゅう、? - 紀元前208年)は中国の戦国時代後期から秦代にかけての政治家。魏王室の一族で元は魏の甯陵君。
紀元前225年、魏が秦に滅ぼされると魏咎も庶民におとされたが、紀元前209年に陳勝呉広の乱が起きると魏咎も陳勝の配下となった。陳勝の配下の周市が魏の地を平定すると人々は周市を王として立てようとしたが、周市は魏の後裔である魏咎を迎えて王とした。魏咎は周市の好意に感謝して宰相の位を与えた。
しかし、秦が章邯を任用すると、秦軍の猛烈な巻き返しが始まり、魏軍を率いた周市は破られ、魏咎は人民の安全を条件に降伏し、自ら身を焼いて死んだ。