鮑信
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鮑信(ほうしん、152年?-192年)は、後漢末期の武将。司隷校尉鮑宣の後裔、鮑丹の子、鮑邵・鮑勛の父、鮑韜の兄
済北の相。後漢の霊帝の時代、騎都尉となる。代々儒学で名を成しめた家系の出身者で、鮑信自身も公平かつ寛大で、節義をわきまえ、儒学にも秀でていたといわれている。常に質素な生活をしていることもあって、多くの人から慕われていた。曹操が董卓討伐軍を起こしたとき、その討伐軍に参加して、曹操と友人になった。
192年、曹操と共に青州の黄巾軍の残党討伐に向かったが、その最中に敵軍の不意打ちに遭い、戦死してしまった。曹操は鮑信の死を悲しみ、遺体を捜させたが見つからなかった。質素であったため、死後に財産も残らなかったと言われている。