ノート:鳥山明
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彼が東京に出ようかなと考えた時、巨額納税者を失うことを
恐れた地元の役所が、鳥山宅から空港までの間に道路を敷いたという 根拠のない噂があった。事実は、原稿を東京の出版社に出すために 航空便で空港から送っているのだが、鳥山邸から空港までの道が混む ため、空港の近くに引っ越そうとしたところ、巨額納税者を失うことを おそれた地元の自治体が鳥山宅から空港までの間に道路を建設した― というところらしい
引っ越す先が東京にせよ小牧にせよ疑わしい話です。いかに鳥山明が巨額納税者だといっても「たかが」年に数億の世界でしょう? 庶民の感覚からは巨額ですが道路建築費用としては……。それに道路工事と個人の引越しとでは掛かる時間が違いますよ。鳥山が引っ越すという噂を耳にしてから道路工事の用意をしてもとても間に合わないでしょう。
mononohazumi 2005年9月12日 (月) 10:38 (UTC)
- 要するに両方とも噂であるということでしょうか。私には確認する術はないですが、その可能性が妥当でしたら「彼が東京あるいは交通の便のよい別の市町村へ引っ越そうとしたとき、地元の自治体が引き止めるため自宅から空港までの間に道路を建設したという噂がある」といった風にさらっと書けばよいのではないでしょうか。
- それから、
インタビュー記事や本人の写真がマスコミに掲載されるケースは非常に希である。 ただし『鳥山明○作劇場』第一巻では今でも見ることが可能
- という一節ですが、ジャンプコミックスの『鳥山明○作劇場』1巻と2巻で確認したところ、本人の写真は掲載されていません。自画像や回顧録風のおまけ漫画はありますがそれは『Dr.スランプ』などにもありますので特筆するほどのことではないと考えますがどうでしょうか。―霧木 諒二 2005年9月12日 (月) 11:42 (UTC)
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- 事実でないという線で本文を書き換えました。mononohazumi 2005年9月30日 (金) 11:40 (UTC)
>大物漫画家となりながら、未だに上京せず愛知県に在住している。
別に珍しいことではないと思います。楠桂や大橋薫、かえんぐるま、みず谷なおき、ほったゆみも愛知県在住だっと記憶しています。
鳥山やほったの おまけ漫画(単行本の余りページを埋める落書き風のもの)にはファックスと電話と郵便で仕事を進めているように描かれていましたし、海外ならともかく愛知県あたりなら特に仕事に不都合はないのではないでしょうか。
なんとかチャンスをつかみたい無名な漫画家ならともかく、大物漫画家ならなおさら上京の必要性は感じないと思います。 Mononohazumi 2005年3月27日 (日) 12:38 (UTC)
あと須賀原洋行も。Mononohazumi 2005年5月15日 (日) 15:03 (UTC)
「日本で知らない人間はいないのではないかと思えるほどの・・・」は主観的表現であり、百科事典にそぐわないと思います。220.144.228.22
プラモデルの会社も作っている。は一種の都市伝説だと思うんですが?(豊橋のファインモールドから本人デザインのアイテムが出てるのは知ってますが)まるゆ 2004年9月30日 (木) 06:22 (UTC)
伝説というのは実話なのかそうでないのかわかりにくい書き方ですし、自宅から空港までといってもそのほぼ全部なのかごく一部なのかもわかりにくい書き方です。彼が住んでいるとされる市町村から空港まで行くとすると、整備されたのがつい最近ではない国道もしくは県道をメインルートとして使うのが普通です[1]。 黒丸硝子 2005年1月23日 (日) 08:46 (UTC)
西春日井郡の道路整備(あるいは既存道路)が、単に自宅や空港に近かったため 面白がってこじ付けられたのではないでしょうか。
[編集] 鳥山明=エホバの証人説
創価学会やエホバの証人の信者であるとの噂があるが全くの事実無根であり、 本人も『消えた漫画家 アッパー系の巻』(大泉実成、新潮社)のインタビューにおいて 「基本的に宗教は嫌い」と発言し、否定している。
この文章が原因で編集保護になってしまいました。どうせならば編集保護に出される前にノートでの議論を呼びかけていただきたかったです。
最初にこの文章投じたの私なんですよね[2]。なんでこの文章を投じたかというと、こんな編集がありまして、それで「鳥山明は否定している」という文章を加えたわけです。
まず、「噂」の情報ソースです。上に挙げた『消えた漫画家』も、「エホバの証人との噂がある」と聞きつけ、インタビューに至っています。また、インターネット上では
エホバの証人[3][4][5] 創価学会[6][7]などの噂があります。あくまで「噂」ですので情報ソースは信憑性の無いインターネット記事でもよいかと思います。
次に、鳥山氏が宗教を嫌いと否定しているのは上記のソースそのままです。ただしここでは創価学会の話は出てきません。「宗教は嫌い」と発言し、エホバの証人であることは否定しています。ですから厳密に言えば、もしも鳥山氏が創価学会を宗教と認識していなかった場合(そんなことがあるかわからないが)、これは創価学会会員の噂の否定にはならない可能性もあります。
ところが、現在判明している事実はここまでで、この噂が「事実無根」かどうかはわからないのであります。もちろんデマである可能性が一番高いわけですが、可能性として「本当は信者だけどファンが減るといけないから嘘をついた」なんてことだってありえるわけです。例えば芸能人のスキャンダルで、何らかの良くない噂が流れたとします。それで芸能人はそのスキャンダルを否定したとします。たとえば今の講談社対相撲協会のように。しかし当事者の否定声明だけでは、そのスキャンダルが事実無根であった証明にはなりませんよね。
また、あくまで可能性ですが、以前は入っていたけど、インタビューの時までに宗教嫌いになって心変わりしたかもしれません。インタビュー後に入ったかも知れません。ですから「事実無根」との判定を下すには創価学会やエホバの証人側の声明が必要となることでしょう。つまり、いちいち不特定多数の噂について発表するなんて面倒なことはしないでしょうから、ほぼ証明不可能ということです。
現在確認されている事実は「噂がある」「本人が否定したことがある」という2つの事実だけでありまして、鳥山明が創価学会、又はエホバの証人の信者であることを完全否定する証拠は無い、ということです。「本人が否定した」と書いておけば、そうとうひねくれた読者で無い限り普通は「そうか、噂は嘘だったのか」と思うでしょうから、わざわざ「事実無根であり」という一言を付け加える必要は別に無いと思います。
私は鳥山氏がエホバの証人や創価学会に入っているとは思えませんし(特にエホバの証人に入っていたらあんなナメック星人の神様描いちゃいけないでしょうし)、あんまり信じたくないファンです(決して創価学会やエホバの証人に入っている人を否定しているわけではありません)。ですが、何故に上のようにこの噂を「事実無根とは証明できない」とひねた考え方をしたかというと、情報ソースが無い、の一言に尽きます。「噂がある」+「本人が否定している」=「噂は全くの事実無根」としてしまうのは、Wikipedia:独自の調査#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に当たってしまうのではないかと考えます。あくまで式だけを記述すべきで、答えは読者にゆだねるべきです。
つまり、鳥山明氏が特定の宗教に加盟しているという噂が真実であるか真実でないかは全くここでは関係ないのです。確実なことしか書かない(「噂がある」「説がある」などは100%の事実)。わからないことは書かない。これがウィキペディアの原則のはずなので、確認された事実である「噂が存在する」「本人は否定している」だけを記述するべきです。
最後に、以前はこの記事が消されると復活させていましたが、深く深く反省しました。この文章が消されても、意見は出しても、もう絶対に私自身が復活させることはしません。私の意見はまとめますと、
- ①「本人が否定している」=「事実無根」とは直接結びつかないので、事実として確認されている「噂がある」「本人は否定した」だけを記述するべきである。
- ②所詮不特定多数の間の噂であり、「講談社対相撲協会」のようなスキャンダルとは違い決着がほぼ確実につかない。すなわち証明不可能な命題であるため、削除も否定しない。
以上です。言いたいことは言ってしまいましたので、反論がありましても暫くは静観します。--Michael Friedrich 2007年3月9日 (金) 17:34 (UTC)
- 長文ご苦労さまです。噂が「噂」でしかない以上、根拠は、「噂の真相を知る本人が否定している」この一文だけで充分なんですよ。アナログな思考のあなたにわかりやすく説明すると、あなたの主張は「仮にMichael Friedrichがエホバ信者だとする噂が流れて、Michael Friedrichがそれを否定したとしても、Michael Friedrichがエホバ信者か否かは証明できない。」というものなのです。けれどここは、「理屈では証明不可能な命題であるがMichael Friedrichはエホバ信者ではないだろう。」と今までの人生で培ってきた感性で察することができるわけです。普通に柔軟な人ならば。どちらにしろ、あなたは自分の編集が間違っていた事を認めたわけですから、こちらもそれには異論はありませんね。--オメガベータ 2007年3月23日 (金) 01:41 (UTC)
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- ??私は自分の編集が間違っていたなんて言っていませんよ?編集合戦してまでこの記述を載せようとしたことを反省したのです。「本人が否定している」の一文だけで充分だって言っているんですよ。事実無根とか何とかいちいち言わなくてもいいと。これまでの人生で培ってきた感性で察するというのは、推測するということですから、ウィキペディア向きではありません。--Michael Friedrich 2007年3月23日 (金) 01:59 (UTC)