鳥山明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
ウィキポータル |
日本の漫画作品 |
日本の漫画家 |
漫画原作者 |
漫画雑誌 |
カテゴリ |
漫画作品 |
漫画 - 漫画家 |
プロジェクト |
漫画作品 - 漫画家 |
鳥山 明(とりやま あきら、1955年4月5日 - )は日本の漫画家、キャラクターデザイナー。愛知県西春日井郡清洲町(現・清須市)出身・在住。愛知県立起工業高等学校デザイン科を昭和49年に卒業している。血液型A型。妻は漫画家のみかみなち(一時期、みかみ那智)。 第27回(昭和56年度)小学館漫画賞受賞(『Dr.スランプ』)。 代表作に『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』(DRAGON BALL)など。
目次 |
[編集] 概要
1978年、「週刊少年ジャンプ」(集英社)に掲載の『ワンダー・アイランド』でデビュー。 スクリーントーンをほとんど使わない独特の画風、透明かつ爽快感溢れる独特の色彩、アメコミタッチでもあり、日本的でもあるその作風には世界中に多くのファンがいる。
描かれる作品は、動物が人間の言葉を操り普通に人間社会に溶け込んでいたり、綿密に描かれた独創的なメカニックの数々など、物語の本筋以外の部分の描写も特徴的。サブキャラクターに動物や異星人が多いのは、実は普通の人間だけでは顔を描き分けるのが大変なので、動物や異星人・ロボットを描く方が楽だからとの事。また、綿密に描かれたメカニックはスターウォーズ他、数多く見て来たSF映画からの影響が強く、物語の本筋以上にメカを描いているのが楽しいという。これらの要素も多くの読者に愛される要因となっている。
週刊連載の時にもほとんど原稿を落とさない。名古屋でサラリーマンを経験している彼は、社会人は時間を守って当然というポリシーがあるらしく、それが締切を守る理由だという(ただしサラリーマン時には遅刻したりラフな格好で出社して上司に叱られたことがよくあったらしい)。さらには、初代担当の鳥嶋和彦に「もし原稿を落としたら東京に来てもらう」と言われていたため、行きたくない一心で原稿を仕上げたとの発言もある。
生前の手塚治虫に、動物を描くのが好きな所など、新しい世代では一番自分と同じものを持っている漫画家といわれており、手塚も鳥山の作品を読んでいたと思われるが、ドラゴンボールのフリーザ編を終える前に惜しくも手塚は亡くなっている。
また、元「週刊少年ジャンプ」編集長・西村繁男は、自らの著書の中で、「少年ジャンプの六百万部の快挙は、鳥山明の破壊的なパワーを借りて初めて実現しえたことは、誰も否定できないだろう」と述懐している。
「週刊少年ジャンプ」を中心としたジャンプ系列雑誌での漫画執筆の傍ら、ゲームソフト『ドラゴンクエスト』シリーズ等のキャラクターデザイナーとしても活躍。近作ではブルードラゴン、ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔などのキャラクターデザインがある。
[編集] 主な作品等
『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』の二作品は、国民的大ヒット作となる人気を博した。『Dr.スランプ』はアニメ化されて最高視聴率36.9%を記録し、社会現象を巻き起こした。『ドラゴンボール』はメディアミックス路線でも大成功を収め、多数のテレビゲーム、キャラクターグッズになった。1981年から1999年までは作品は違うがフジテレビ系列で毎週水曜19:00~19:30は鳥山の作品が放映されていた。
『ドラゴンボール』の人気は世界に拡大し、アメリカではLycosの検索ランキングで1位になったこともある(アジアや欧米だけでなく、モロッコなどイスラム圏の国でも人気がある)。世界的な知名度を誇り、特にフランスではTV放映時の最高視聴率が70%を超えたり、在仏日本大使館が毎年行っている「フランスで最も有名な日本人は誰か」という調査では、ここ数年鳥山がトップを維持している。
『ドラゴンボール』終了以降は、長期連載でかなり大変な思いをしたことが元で、漫画家としては「週刊少年ジャンプ」などジャンプ系列誌で読み切り、もしくは短期集中連載作品を描く程度であり、漫画家としては事実上セミリタイヤ状態と云われる事もある。ただし、実際には現在でもゲームのデザインや原作者としての版権管理などの仕事があるため、純然たる漫画家としての活動はともかく、仕事については『ドラゴンボール』連載当時ほどではないがリタイヤという言葉とは程遠い状況である。
『ドラゴンボール』終了以降に描いた主な作品は『COWA!』、『カジカ』、『SAND LAND』(いずれも週刊少年ジャンプで短期集中連載として掲載された)、『ネコマジン』(短編)、『天使のトッチオ』(絵本)など。その中でも『SAND LAND』と『ネコマジン』は人気を得、『SAND LAND』は北米、ドイツ、フランスそのほかの地域でも多数翻訳出版され、『ネコマジン』もシリーズ化した。
愛知県唯一のプラモデルメーカーである『ファインモールド』のロゴマークも手がけている。自らを鳥人もしくはガスマスクをつけたロボットに擬して、自分の作品に登場させていることがある。
[編集] デビューまでの道程
鳥嶋和彦によると、家は貧しかったが、両親共にのんびり屋の性格で、夕食を食べる金がないからと代わりに二人でワルツを踊るような人だったという。そして子供時代の鳥山は、腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていたという。
朝早く起きるのが辛いという理由で、高校卒業後に3年勤めた会社を退職した鳥山は、しばらくの間毎日気ままに暮らしていたが、その後当然の如くお金に困るようになる。そんな時、たまたま手に取った「週刊少年マガジン」で、新人賞への応募作品を募集している記事を見つける。賞を取れば賞金50万円が手に入ることを知り、一念発起した彼は、賞金のために23歳にして初めて本格的に漫画を描き始める。だが、結局『マガジン』の締め切りには間に合わず、月一ではなく毎週作品を募集していた『週刊少年ジャンプ』に作品を投稿するようになる。
その鳥山の作品に目を付けたのが、後に鳥山の担当編集者となる鳥嶋和彦であった。鳥嶋は、鳥山が作中の描き文字(擬音、擬態語など、写植以外の文字のこと)をカタカナでなくアルファベットで描いていることにセンスを感じ「今は下手だが頑張れば何とかなるかも」と鳥山にアドバイスをした。鳥山は容赦なくボツを出しまくる鳥嶋の元で懸命に修行し、漫画家としての技量を磨いていった(この時期、一年間のボツ原稿の総数は500ページ近くに達した)。その間、いくつかの短編を「週刊少年ジャンプ」やその他関連誌で発表し、その後『Dr.スランプ』で「週刊少年ジャンプ」に連載デビュー。また当初は本名ではなく、水田二期作(みずたにきさく)というペンネームにしようとも考えたが、結局本名でデビューした。
[編集] 意外なTV出演歴
最近ではマスコミなどへの露出を好まず、インタビュー記事や本人の写真がマスコミに掲載されるケースは稀である。ただし、かつては、『徹子の部屋』に出演したり、1981年5月25日放映のNHK特集『わが青春のトキワ荘~現代マンガ家立志伝~』に荒木飛呂彦と共に登場したりしていた。『Dr.スランプ』の単行本の埋め草にも近況漫画や自身の写真を積極的に載せている。最近ではテレビゲーム『BLUE DRAGON』のCMに出演している(ただし顔は見せていない)。
[編集] こぼれ話
- 鳥山は独身時代、六畳間で漫画の原稿を描いていた。また、モデルガンを壁に飾ったり、他の漫画家等のサインを壁に飾っていたことから、モデルガンオタク、サインオタクと言える。また、読者からもらったパンティーがヤニで黄色くなってしまうほどの愛煙家であり、締め切り前は1日に100本以上吸っていたという。
- また、鳥山は時折バイクで喫茶店に行っていた。アシスタントのひすゎしも一緒だったという。ここで彼らはよくお喋りをしたり、コーヒーを啜っていろんな週刊誌や漫画を読み倒していた。
- マニアとしてのパワフルさも有名である。プラモデル作りの腕前はプロ級で、株式会社タミヤの主催する1/35フィギュア改造コンテストで入賞している。また、映画『スター・ウォーズ』、アニメ『機動戦士ガンダム』『戦闘メカ・ザブングル』『風の谷のナウシカ』等のSF作品に強烈にハマり、自分の作品中にそれらのパロディ(時にはそれらそのもの)を登場させたりした。
- 映画『ゴジラ』にエキストラ出演したことがある。本編中では確認できないが、一部ポスター(市販もされた)においては群衆の中にしっかり確認できる。
- 共に鳥嶋和彦に才能を見出された漫画家仲間である桂正和とは交流があり、『ウイングマン』の作中に「生徒会トリヤマ」や「Mr.マヤリト」として鳥山が登場している。逆に『Dr.スランプ』には非常な田舎者として桂が登場しており、悟空が界王を笑わせる為に使ったギャグも元々は桂が考えた物である。またフュージョンのポーズも桂正和とともに考えたものであると述べている。
- 画力やデッサン力は屈指の物であるが、非常に面倒くさがりということを何度も各種インタビューで答えていた。『Drスランプ』では、「雨を書くのが煩雑」といって漫画家の妻と結婚するまで、ペンギン村に雨を降らせなかった。『ドラゴンボール』でのデザインの逸話も有名である。超サイヤ人は髪をベタ塗りせずにすむので時間短縮になる、フリーザの最終形態も簡易にすることで作画の手間をはぶかせた(事実フリーザが面長である第3形態はすぐに最終形態に変身した)、描くのに時間がかかる市街地などの背景はすぐに爆破させる、などがある。そもそもスクリーントーンを使わないのも、面倒だからという理由である(他に「切ったり貼ったりするのは自分に合わない」とも)。しかし、そんな事情があっても結果的に完成度が高くセンスの良いデザインが出来上がることに鳥山のデザインに対する深い造詣、技術の高さが窺える。実際は(ストーリー面はともかく)作画に相当のこだわりのある努力家であることも想像に容易い(機械の絵を描くのにその機械の構造まで考える等こだわりが強すぎる感は否めないが)。
- 現在の少年漫画だけでなく、無数のメディアに絶大な影響を与えた人物であり、「ジャンプ」や作家、漫画家だけに限らず、あらゆるジャンルの人々に鳥山のファンが多数存在する。漫画家では空知英秋が『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』を読んで漫画を覚えたり、尾田栄一郎や岸本斉史が『ドラゴンボール』のファンであったり、澤井啓夫が増刊号に『ドラゴンボール』のパロディを描いたりする等、2006年現在、活躍する漫画家に多大な影響をあたえている。また『週刊少年ジャンプ』の読者コーナーには必ずと言っていいほど未だに『ドラゴンボール』ネタが採用されている。あまり有名ではないが他雑誌の読者コーナーでも明らかにコアなファンでしか分からない『ドラゴンボール』ネタが時々存在する。
- 『ドラゴンボール』の単行本(通常版11巻)では、鳥山本人と息子の写真が表紙裏に掲載された。
- 鳥山本人はピッコロを『ドラゴンボール』の中で一番好きなキャラクターだと公言している。また、アニメで二代目ピッコロを演じた古川登志夫もこのキャラクターを気に入っており、自室にフィギュアを飾っているという。
- 『ドラゴンボール』などによる莫大な版権収入があるため、地元で有数の高額納税者である。
[編集] 作品リスト
短編作品は『鳥山明○作劇場』の項を参照の事。
- Dr.スランプ
- DRAGON BALL(ドラゴンボール) - 『ドラゴンボール (アニメ)』、『ドラゴンボールZ』、『ドラゴンボールGT』も参照の事。
- 鳥山明○作劇場 - 短編作品集
- 鳥山明のヘタッピマンガ研究所 - 1982年より1984年まで「フレッシュジャンプ」に連載/原作:さくまあきら
- LADY RED - 1987年に「スーパージャンプ」に掲載
- 貯金戦士キャッシュマン
- GO!GO!ACKMAN
- 宇宙人ペケ - 1996年に「週刊少年ジャンプ」に掲載。全2話
- TOKIMECHA - 1997年に「週刊少年ジャンプ」に掲載。全3話
- 魔神村のBUBUL - 1997年に「週刊少年ジャンプ」に掲載
- ハイギョのマヒマヒ - 1999年に「週刊少年ジャンプ」に掲載
- COWA!
- カジカ
- SAND LAND
- TOCCIO THE ANGEL てんしのトッチオ - 絵本作品
- ネコマジンシリーズ
- ネコマジンがいる
- ネコマジンみけ
- ネコマジンZ
- CROSS EPOCH - 2006年に「週刊少年ジャンプ」に掲載。尾田栄一郎との合作
[編集] キャラクターデザイン
[編集] ゲーム
- ドラゴンクエストシリーズ
- ドラゴンクエスト
- ドラゴンクエストII 悪霊の神々
- ドラゴンクエストIII そして伝説へ…
- ドラゴンクエストIV 導かれし者たち
- ドラゴンクエストV 天空の花嫁
- ドラゴンクエストVI 幻の大地(モンスターの一部は中鶴勝祥)
- ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち(メインキャラクター・モンスター担当。その他のモンスターは中鶴勝祥とかねこ統)
- ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君(サブキャラクターはレベルファイブのスタッフ)
- ドラゴンクエストIX 星空の守り人(2007年発売予定)
- トルネコの大冒険シリーズ
- トルネコの大冒険2
- トルネコの大冒険3(イラストは中鶴勝祥)
- ドラゴンクエストモンスターズシリーズ
- ドラゴンクエストモンスターズ
- ドラゴンクエストモンスターズ2
- ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート(原案)
- ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー
- スライムもりもりドラゴンクエストシリーズ
- スライムもりもりドラゴンクエスト
- スライムもりもりドラゴンクエスト2
- ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン
- ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔
- クロノ・トリガー
- トバルシリーズ
- ブルードラゴン(トリッポの声優としても出演)
- 桃太郎電鉄シリーズ(メカボンビーRX)
[編集] テレビ番組
[編集] その他
- QVOLT - 『チョロQモーターズ』の電気自動車。
- ジャンタ - JUMP SHOPオリジナルキャラクター。
- リードン - 伝説の読書龍として集英社のキャラクターとして使用。
- 空想科学世界ガリバーボーイ - 一部メカデザイン。