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黄檗希運(おうばく きうん, 生没年不詳)は、中国唐代の禅僧。
閩(ビン,門+虫、福建省)の出身。
幼くして、高安県の黄檗山寺で出家する。
後に百丈懐海(749年 - 814年)の弟子となり、嗣法となる。
鍾陵(江西省)の黄檗山などに住んで化導に精励し、大中年間(847年 - 860年)に住寺で没した。諡して断際禅師という。髪塔を広業塔という。
圭峰宗密と並んで宰相の裴休(797年 - 870年)に尊崇され、その語録である『黄檗希運禪師傳心法要』(857年成立)は、裴休が編んだものである。
弟子に、臨済宗の祖である臨済義玄らがいる。
[編集] 伝記資料
ja:黄檗希運