黒島伝治
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黒島 伝治(くろしま でんじ、1898年12月12日 - 1943年10月17日)は、日本の小説家である。
香川県の小豆郡苗羽村(現在の小豆島町)に生まれた。壺井栄は隣村(現在は合併で同じ町になっている)の出身である。上級学校への進学はかなわなかったが、苦学しながら学資をためて、早稲田大学に入る。しかし、選科という徴兵猶予がきかない学科に所属したために、兵役につくことになった。姫路の連隊に在籍中にシベリア出兵が行われ、彼は従軍した。この体験が、彼の代表作である『渦巻ける烏の群』『橇』などの〈シベリアもの〉とよばれる、日本文学史上稀有な戦争文学として結実することとなる。
帰還後、小説を書き始め、1925年、貧困のために合格した中学への進学を断念させる家庭の姿を描いた「電報」で世に知られるようになる。当時のプロレタリア文学はほとんどが労働者を題材にしていたなかで、農村を舞台にした黒島の作品は、好感をもって迎えられた。この傾向の作品としては、差し押さえに抵抗する農民を描いた『豚群』が有名である。
1930年、済南事件に材料をとり、日本と中国との関係をえぐった長編『武装せる市街』を書き下ろしで刊行するが、即座に発禁となる。この作品は戦後も受難のみちを歩み、占領下に一度刊行が計画されたが、占領軍の検閲により刊行が禁止され、出版されたのは講和条約の発効後であった。そのときにはすでに黒島は世を去っていた。
1930年代はじめには、肺病のために故郷に隠棲し、作品の発表もないままに暮らしていたが、特高警察は監視の対象としていた。そのため、没後、未亡人は遺稿・書簡の類をあらかた焼却してしまったという。ただ、軍務についていた頃の日記は消滅をまぬかれ、『軍隊日記』として戦後刊行された。
郷里には文学碑が建てられている。