龍年光
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龍 年光(りゅう としみつ)は日本の政治家、宗教家。通称「りゅう ねんこう」。
原島宏治、辻武寿らと同様に支持母体・創価学会の最古参幹部を兼任しながら公明党東京都議会議員団副団長、団長を歴任し、1961年公明政治連盟書記長に就任。
1964年11月17日の公明党結成で副書記長に就任。東京都議を歴任しながら1967年から1984年まで竹入義勝委員長の下で中央統制副委員長を歴任した。
創価学会が日蓮正宗から破門される前年の1990年に創価学会を脱会、現在は日蓮正宗に属し、創価学会や池田大作を批判する活動を展開。個人雑誌「威徳王」を発行している。
過去に自由民主党で公明党・創価学会の政教分離関する部会に山崎正友元弁護士と共に出席した。また2001年9月2日には、かつて創価学会と公明党の政教一致批判をするなど創価学会(公明党)の問題を追及した。1995年9月に謎の転落死をした東村山市の朝木明代市議(当時)の追悼集会に出席し、スピーチを述べたこともある。 後年は支持者の労苦を仇で返すように“反学会”の姿勢を鮮明にし、信平狂言事件などに陰で密接に関わるなど、「謀略」にも手を染めた。 2007年3月25日、多臓器不全で死去(85歳)。