BAKU
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BAKU(バク)は、日本のロックバンド。1989年結成、1992年解散。
10代の素朴な感性に満ちた歌詞と、軽快なビート、やんちゃなルックスが、同世代の女の子達に支持されるが、1992年8月にメジャーデビューから約2年で解散した。代表曲は『ピーターパン』、『ぞうきん』など。
実質わずか3年間と短い活動期間ながら、バンドブーム全盛期を支えたバンドの一つとして強い印象を残している。キャッチフレーズは『歌える歌』。
[編集] 歴史
栃木県の高校3年生だった車谷浩司(ギター)、谷口宗一(ボーカル*一時期ベースも弾いていた)、加藤英幸(ドラム)、阿部浩之(ベース)の4人が1989年に結成。ちなみに前名はBATSUである。同年夏に原宿の歩行者天国(いわゆる「ホコ天」)に姿を現すと同時に人気を集め、同年12月にはインディーズからミニアルバム「ぼくたちだけの天国」をリリースする。
ところがメジャーデビューが決定した矢先の1990年の年明け直後、ベースの阿部が交通事故で急死。雑誌の取材を受けて帰った後の出来事だった。このためバンドは一時活動停止に追い込まれるが、高校卒業後の同年6月にポリスターからミニアルバム「不思議なマジック」をリリース。歌詞カード裏面には阿部への感謝と弔いの言葉が記載されたほか、追悼と復活の意をこめた楽曲も作曲・収録されている。メジャーデビューすると同時にライブ活動を再開(ちなみにこのアルバムのレコーディングは阿部の存命中に行われている)。翌1991年2月にリリースしたシングル「ぞうきん」がヒットし、一躍人気バンドの仲間入りを果たす。この曲はドラマ仕立てのミュージックビデオも製作された。 なお、ベースは元A-JARIの太田守がサポートメンバーとして参加した。「新メンバーを入れるぐらいなら解散する」とのメンバーの意向で、最後までベースは彼が務めた。
同年には「聞こえる~Power of Dreams」「DAY AFTER」と立て続けに2枚のアルバムをリリースするなど活発な活動を見せたが、1992年夏に「バクは夢を食べ続けなければならない」とのメッセージを残し解散した。解散に際してはラジオで特番も組まれファンからメッセージが寄せられた。最後のアルバム「DAY AFTER」では、ひたすら軽快だった当初と全く音楽性が変わって、政治的なメッセージを含んだとも取れる歌詞の楽曲や破滅・死をも題材にした重い楽曲もあった。ジャケットで着用した衣装も初期とはまるで異なるものであった。唯一のインスト曲も、同アルバムには収録されている。解散決定後、ベストアルバムも出ている。
[編集] 解散に至る理由
軽いノリで女の子ウケするビートポップバンドを続けていくことにメンバーが不満を感じ始め、事務所やレコード会社との軋轢があったことも解散の原因。「DAY AFTER」の発表時の音楽雑誌にはそれをにおわせる記述がある。解散発表ライブ(予定外に発表してしまった)で車谷が「キレた!」のは有名な話。また、谷口は後談で「俺もやりたい音楽がみつかって、それが他のメンバーやスタッフと違っていた」と話している。この発言を反映するように、解散後の彼らはそのキャラクターを大きく変貌させていた。若いバンドが激しく成長している時期にスターになってしまった故の出来事かもしれない。
[編集] 関連事項
- 映画出演も果たしている。
- 三宅裕司のいかすバンド天国内で放映されたYAMAHAのCMにも出演した。