歩行者天国
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歩行者天国(ほこうしゃてんごく)とは、通常車道とされている部分を曜日や期間の指定により、車両通行止の規制を行い、歩行者が車道部分を歩けるように歩行者専用道路する警察署の措置の俗称。歩行者天国は、各所管警察署によって管理が分割されている。歩行者天国を実施する理由は様々あるが、主に大学・高等学校などの休み時間に学生が多く路上に溢れるためにその時間のみ歩行者天国を行うもの、繁華街の一定の時間に歩行者天国を行い商業の発展を狙ったもの、祭りなどの行事のために一時的に道路を規制するもの、商店街に車を通らせないことを目的としたもの、子供が路上で遊べるように道路を規制したものが挙げられる。大規模なものは1969年8月6日から12日間、北海道旭川市で実験的に実施されたのが始まりである。東京都内では1970年8月2日に銀座、新宿、池袋、浅草で初めて実施された。その後、1972年6月1日には、日本初の恒久的な歩行者天国として旭川市平和通買物公園が開設された。
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[編集] 概要
高度経済成長時代の当時、自動車の急増による事故の急増、環境問題への配慮により、道路交通を車優先から歩行者中心の交通への転換が求められた時期であり、そのきっかけとしてスタートしたのが始まりである。歩行者天国は道路全体を歩行者用道路とすることから、交差点などにより人の流れの妨害を阻止し近隣の商業地の発展に寄与できるであろうとされた。また、一時的排気ガスや騒音等の交通公害防止になり、開放的なイメージにもなるため、観光客や買い物客の増加に繋がるとも考えられた。
その結果、東京原宿では「竹の子族」などの発信地となったり、ストリートパフォーマーなどの進出によって、街全体に活気を与えるなど大きな影響を与えたが、これによる騒音問題やゴミ問題などから、地元から歩行者天国を中止する要望が出されるようにもなった。また、休日といえども道路を迂回させられることにより、近隣道路の慢性的な渋滞原因にもなった。その結果、一部では廃止されることとなり、現在行われている大規模な箇所はごく一部となっている。
[編集] 実施方法など
- 大規模なものは、警察署は実施と解除時にアナウンスを行い、それより前の時間には規制道路に路上駐車している車の一斉排除を行う。もし駐車違反をしていれば取り締まりを、駐車・停車している車で運転手が特定されれば、1台1台の車に対し警告を行う。また、規制対象道路を走行している車があれば、道路から退避するよう促す。規制道路を走るバス路線は迂回規制を行うか、浅草の三社祭の規制のように特例としてバスだけ通す場合もある。歩行者天国といえども、交差する主要道路は規制しないため、交差する道路から進入されないよう、立て看板や案内板を置き、場合によっては警察を配備して監視を行う。解除時は警察署によるアナウンスがあるが、必ずしも全ての人間に行き渡らないため、解除時間を知らない歩行者が道路を歩いている時に自動車が通ってしまうなど危険なこともあるため注意が必要である。また、雨天など悪天候の時は中止になる場合もある。この場合所轄警察署の裁量に委ねられる。
- 商店街など地域に密着した小規模なものは、所轄警察署が規制を行う場合もあるが、警察官を配備しなくても道路標識によって一定時間に歩行者専用道路となるように規制をかける方式が一般的である。また多くの商店街では近隣住民や商店主によって立て看板を設置し、進入できないような対策がなされている。
[編集] 大規模に実施されている主な箇所
[編集] 恒久的なもの
[編集] 日時を区切って行われるもの
- 東京都
- 愛知県
- 北海道
- 千葉県
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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