Club Atletico Real Tokyo
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Club Atletico Real Tokyo | |
原語表記 | Club Atletico Real Tokyo |
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愛称 | Club Atletico Real Tokyo |
クラブカラー | 青 |
創設年 | 2003年 |
所属リーグ | 東京都社会人 |
所属ディビジョン | 2部 |
ホームタウン | 東京都 |
ホームスタジアム | |
収容人数 | |
代表者 | 清永浩文・植田朝日・中西哲生 |
監督 | 中西哲生 |
Club Atletico Real Tokyo(クラブ・アトレチコ・レアル・トウキョウ)は、東京都全域を本拠地として将来のJリーグ参加を念頭に活動するクラブチーム。チーム名のクラブ・アトレチコはスペイン語で「体育クラブ=アスレチック・クラブ」を意味する。
チームはそれまで活動してきた「FCレアル・ブリストル」と「クラブ・アトレチコ・ボンボネーラ」が合併して設立され、2003年に結成された。チームの代表者はレアル・ブリストルの清永浩文とボンボネーラの植田朝日(熱狂的日本代表サポーター 「ウルトラス・ニッポン」団長)、そして元川崎フロンターレの選手で現在サッカー解説者の中西哲生の3氏が勤めている。
チームの目標としてはヨーロッパのサッカークラブにあるようなスタジアムにカフェやレストランがあり、練習の見学を楽しみながらお茶を飲める空間作り、また選手とサポーターが一つになり地域に根ざしたサッカークラブを目指すこと、更には サッカーを一つのエンターテインメントとして捕らえるために活動することなどを挙げている。
選手登録メンバーには先述の植田、中西の両氏のほか、俳優・袴田吉彦、ラッパー・GAKU-MCら芸能人も参加している。また合併前の2002年に「クラブ・アトレチコ・ボンボネーラ」がタイの五輪代表チームの前座試合を開催したことがあった。
[編集] チーム成績・歴代監督
年度 | 所属 | 試合 | 勝点 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 差 | 順位 | 監督 |
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2003年 | 東京都4部11ブロック註1 | 7 | 21 | 7 | 0 | 0 | 40 | 8 | +32 | 優勝 | 中西哲生 |
2004年 | 東京都3部6ブロック 註2 | 10 | 20 | 6 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 失格 (註2参照) |
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2005年 | 東京都4部15ブロック | 9 | 27 | 9 | 0 | 0 | 78 | 5 | +73 | 優勝 | |
2006年 | 東京都3部6ブロック | 10 | 28 | 9 | 1 | 0 | 33 | 7 | +26 | 優勝 |
- 註1: 実際は10チームが参加する予定であったが、2チームが辞退したことによってC.A.Real Tokyoを含め8チームが参加した。
- 註2: 実際は12チームが参加する予定であったが、1チームが辞退したことによってC.A.Real Tokyoを含め11チームが参加した。しかし、同リーグ第3節の試合(FCフューチャーズ戦)で審判手帳を忘れる規定違反行為があったため失格扱い(東京都社会人リーグでは参加チームの選手に一定の試合数審判員を担当することが義務付けられている。詳細こちら)となった。それ以後の試合は予定通り行われたがオープン参加(参考成績)扱いとなり順位をつけず、2005年度は4部リーグに降格された。