TVグラフィック42番街
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TVグラフィック42番街(てれびぐらふぃっくよんじゅうにばんがい)は、テレビ神奈川(TVK、現tvk)で1985月8月から1995年9月の金曜日、20:00から21:30まで放送された生ワイドである。「TVグラフィックおしゃべりトマト」の成功に気をよくしたTVKが、意欲作として送り出した。
司会は弁護士の山田尚典(やまだ しょうてん、やまだ よしのり)。
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[編集] 概要
1979年の「リビング・ポート90分」の打ち切り以来、音楽番組以外で生で第1スタジオを使ったワイドショーは陰を潜めていた。しかし、音声多重放送マスターへの更新終了、横浜そごうの経営参画などに目処がついたTVKは、ナイターや音楽目当ての視聴者以外の開拓のため、同番組を開始する。
スタジオセットにお金をかけ、テーマ曲はMALTA(「Sea Express」→「Sexy Galaxy」)が手がけた(同氏は当初準レギュラーだった)。しかし、U局特有の工夫が随所にちりばめられていた。
[編集] パブリシティの活用
サントリーをスポンサーに豪華なゲストを迎えて、鎗田圭子が中華街の名店を紹介する「我店的最好菜」は、テーブルにサントリービールを大写しにし、宣伝色の濃いコーナーではあったのだが、それに気を向けさせない演出で、一躍人気コーナーとなった。ここで取り入れられたノウハウは今日まで引き継がれている。また後年は、神奈川スバルの協力で、スバルの車で県内の名所を巡るコーナーなどもあった。
[編集] 社員の活用
アシスタントに「おしゃべりトマト」で人気をモノにしていた鎗田圭子、原良枝アナウンサーを起用。また、映画コーナーは当時制作部のADだった坂本紅子(現・編成局)、TVKの番宣には広報担当の檜山洋二(通称・番宣マン、現・編成局次長)を登場させた。
[編集] アシスタント
- 鎗田圭子(元TVKアナウンサー、原と隔週、1985年~1987年)
- 原良枝(元TVKアナウンサー、鎗田と隔週、1985年~1987年)
- 松倉庸子(1987年~1990年)
- 森一美(1990年~1993年)
- 上田陽子(元TVKアナウンサー、1993年~1994年)
- 田上ひろし(1993年~1995年)
- 桐山ゆみ(1994年~1995年)
[編集] 主なコーナー
- なんでも言っちゃおう
- 我店的最好菜(サントリー提供)
- テレビ水族館(江ノ島水族館提供)
- 週末情報(神奈川スバル提供)
- 番宣コーナー
- エアロビクス
- WaiWaiベイスターズ倶楽部(横浜ベイスターズ、マルハ提供)
※オープニングでコーナー担当者が開始予定時刻と共に予告を紹介するのが通例だった。
[編集] その他
- 初期は県内各地をロケし、タイトルコールを街中の人に呼んでもらうオープニングだった。初期のキャッチフレーズは「スーパーエキセントリックマガジン」。
- 司会の山田はハーレーダビッドソンに乗るのが趣味で、まれにそれをコーナーにしていた。
- 番組開始当初、横浜の法曹界や政財界以外には山田に知名度が全くなく、初期はオープニングのコラムコーナーで「あいつは誰なんだ、歩くケンタッキーフライドチキンなんじゃないかと言われた。」と言っていた。
- 当時には珍しいファックスでの視聴者のお便りを募集していたが、最終回まで「ファクシミリ」と呼んでいた。
- 後年はスーパー・エキセントリック・シアターのメンバーが大量出演していた。
- コーナー担当からアシスタントに昇格した桐山ゆみと現在「1230アッと!!ハマランチョ」の司会をしている金田賢一は長年の盟友であり、横浜を地盤に共催で朗読音楽ライブ「横濱夢語り」を開催している
- 非常に人気のあった番組だったが、「たてながHAMA大国」開始に伴い、兄弟番組「たてながHAMA大国ナイト」にリニューアルするため、惜しまれつつ終了。
- 山田は番組終了後、TVKの番組審議委員を務めるなど、TVKに貢献した。
[編集] 関連項目
- TVグラフィックおしゃべりトマト
- たてながHAMA大国ナイト
カテゴリ: 神奈川県 | ローカル局テレビ番組