富士重工業
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | 富士重工、富士重 |
本社所在地 | 東京都新宿区西新宿1-7-2 |
設立 | 1953年7月17日 |
業種 | 輸送用機器 |
事業内容 | 自動車 航空機の製造・整備 産業用機器の製造・整備 |
代表者 | 代表取締役社長 森 郁夫 |
資本金 | 1,537億95百万円 |
売上高 | 単体:9,761億円(2006年3月期) 連結:1兆4,763億円(2006年3月期) |
従業員数 | 11,998名(2006年4月1日現在) |
外部リンク | www.fhi.co.jp/ |
富士重工業(ふじじゅうこうぎょう、FHI)は、日本の重工業メーカーのひとつ。「スバル(SUBARU)」のブランド名で自動車などを製造している。 通称「富士重工」、「富士重(ふじじゅう)」とも。英訳名は、Fuji Heavy Industries Ltd.(英略称はFHI)。
1999年12月からゼネラルモーターズ(GM)と資本・業務提携をしていたが、2005年10月5日に、ゼネラルモータースが保有する富士重工株20%をすべて放出、そのうちトヨタ自動車が8.7%を買い取り筆頭株主となった。今後は富士重工とトヨタが資本・業務提携する。
ゼネラルモーターズグループのスズキと、軽自動車の部品の共通化などをすすめてきていたが、今後はトヨタ及びトヨタ傘下のダイハツ工業との共通化が進むと推測される。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 沿革
1917年に中島知久平が創設した飛行機研究所が起源。 中島飛行機を前身とする。戦後中島飛行機は12社に分割されたが、1953年7月15日に旧中島飛行機系5社が合同して富士重工業株式会社として設立。 その際に参加を熱望されながらもブリヂストン傘下で独自の道を歩んだ富士精密はプリンス自動車に発展し、スカイライン等の名車を生み出しながらも日産自動車に吸収合併された。
1966年に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社として商号を富士重工業としたため、法律的には消滅している。(株式額面金額変更が目的)
スバル(昴)とはプレアデス星団の和名。別名「六連星(むつらぼし)」ともいい、富士重工業のシンボルマークとなっている。
一時期、「スバル株式会社」への社名変更を計画したが、創業50周年の2003年7月15日をもって、従来の富士重工の頭文字を取った(フ)マークの社章を自動車ブランド・スバルと同じ「六連星」に変更するにとどまった。
一部で『谷村新司が歌う「昴」は元々はこの会社のイメージソングであった。』とされるがこれは正しくない。「昴」は歌詞から見ても別れの唄である。富士重工を意識して製作された歌謡曲は「我が人生は昴なり」(作詞作曲:石坂まさを、唄:美帆さゆみ)である。作曲家の石坂まさを自身が熱烈なスバルファンであり、「生真面目で人情味あるスバルの姿を唄い上げたもの」と公言している。原作は「我が人生はスバルなり」であったが、発売時には商品イメージを消すためにあえて漢字の「昴」を当てている。 なお、スバルを中国語表記すると「速覇陸」であり、WRCで活躍する同社のイメージにふさわしい漢字が当てられているといえる。
1968年から1999年までは日産自動車と提携していたが、提携効果があまりなく、新車種も一部のスバリスト以外には歓迎されず、状況は悪化の一途を辿った。
1984年3代目レオーネ9タイプの型式指定を受ける際、試作車が申請書類上の重量より5.5~30kg軽かったということから、バンパーなどに鉛を詰めて辻褄を合わせた事件が発覚する。
1988年には、ボルボ・カーズ・ジャパン株式会社と業務提携を結び、一部のスバル販売店にてボルボ車の販売を始める。
1990年に日産ディーゼル社長(当時)の川合勇が着任し、現在の主力車種の多くの基盤を確立、同社の危機的状況脱出への道筋をつけた。
1997年にレガシィのエンジン欠陥などのリコール隠しが発覚。運輸省による立ち入り検査が行われ、同省より警告を受ける。
2000年からはゼネラルモータース(GM)と提携していたが、こちらも同傘下のSAABにインプレッサ・スポーツワゴンのOEM車種サーブ9-2Xを提供したり、GMのタイ工場製のトラヴィックを供給する程度で効果を十分に発揮しない状態だった。それを活性化する為にも2003年から開発がスタートしたB9トライベッカではサーブ版を最初からサーブ側と共同開発する計画だったが、GMの業績悪化に伴い2005年10月5日には、GMが保有する富士重工株20%をすべて放出し、この共同開発も取りやめられた。放出株のうち、8.7%をトヨタ自動車が買い取って筆頭株主となり、富士重工とトヨタが提携することで合意した、と発表された。またボルボ販売網をヤナセへ売却し、ボルボ車販売から撤退した。
[編集] ユーザー層
普通車は、主にスバリスト、スバラーと呼ばれるエンスージアスト達に支持されている。全てのセグメントに応じた車種を提供しておらず、それを許容して購入できるユーザーのみに限られてしまうためである。また、WRCにも出場するインプレッサなどスポーツイメージの強さが、数多くのスバリスト達の崇拝的とも言える支持を集める要因になっている。雑誌『ベストカー』の調査によれば「車好きの間で日本で最も好感度の高いメーカー」としてスバルが1位になる(ちなみに、2位と3位はトヨタ、日産)など、日本で最もマニアックかつ敬虔な信仰を集めるメーカーでもあると言えよう。
元来、スバル車のデザインは野暮ったく玄人向けで一般には不評なデザインが多く、スバルの本来持っている力を発揮する事が出来ず販売面で長い間苦慮していたが、1989年2月に初代レガシィが発売されてからは、スバル車全般がモデルチェンジを重ねるごとにデザインが洗練され広く好評を得るようになり、現在のスバル車ファンを形成する基にもなった。
軽自動車は赤帽など業務用に広く使われている。特にサンバーワゴンは、最小回転半径の狭さなどから実用的な商用軽ヴァンとしては最もポピュラーな車種である。また、スバルの軽自動車は普通車と異なり、特に自動車にこだわりのないユーザーにも広く受け入れられており、女性ユーザーの支持も受けている。
[編集] 技術
スバルは早い時期から四輪駆動(4WD、All-Wheel Drive の略で AWDとも)技術を実用化しており、日本において乗用車タイプの四輪駆動車を発売した最初のメーカーであった(但し、オリジナルはレオーネ・バン)。 2005年現在は軽自動車を含む全車種にAWDが用意されている。特に小型系3車種のうちレガシィ、フォレスターは全モデルがAWDとなっている。 同社のアイデンティティともいえるのが、フロントオーバーハングに縦置きした水平対向エンジンに四輪駆動システムを組み合わせた、シンメトリカルAWDである。
またモータースポーツとしては世界ラリー選手権(WRC)などに参戦しており、その技術が市販車に活かされている。1990年にはイタリアのモトーリ・モデルニ社と共同開発した水平対向12気筒エンジン「スバル モトーリ・モデルニ」を搭載した「SUBARU COLONI C3B」でF1にも参戦したが、一度も予選を通過することなく撤退した。
現在広く使われているスチールベルト式CVT・ECVTを「ジャスティ」向けに日本で初めて開発・量産した(オランダ・ファンドーネ社と共同開発)。 しかし大排気量車向けの開発は難航、小排気量車向けのみが同社車種及びイタリアFIAT社のプント、パンダに搭載された。
CVTの技術はその後日産自動車にライセンスされ、三菱自動車工業のトランスミッション部門と合弁したJATCO社製「ハイパーCVT」のベースとなったといわれている。
現在のところ、スバルのCVT搭載車は現在では軽自動車のみであるが、軽自動車にCVTを多く採用するメーカーとなっている。 2006年現在、スバルの軽自動車はサンバーを除きCVT車を設定している。
[編集] スバル車販売店
正規ディーラーの「スバル店」のほかに、サブディーラーの「スバルショップ」(旧称・スバルスコープ店)があり、また一部のJAでも取り扱っている例もある。
都市部の一部ディーラーではボルボやサーブ、ポルシェの輸入車も取り扱っていたこともあったが、サーブは2005年に、ボルボは2006年に販売から撤退した。また、いすゞ自動車の一部ディーラーでも、スバル車を取り扱っている所もある。
[編集] 生産拠点
[編集] スバル自動車部門
- 群馬製作所本工場(群馬県太田市スバル町=旧町名・東本町)
- 主に軽自動車を生産している。
- 群馬製作所矢島工場(群馬県太田市庄屋町)
- 群馬製作所太田北工場(群馬県太田市金山町)…通称・呑竜工場(中島飛行機創業の地)
- 群馬製作所大泉工場(群馬県太田市朝日町・邑楽郡大泉町西小泉)
- スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ・インク (SIA)
[編集] 航空宇宙部門
[編集] 産業機器部門
[編集] 環境技術部門
[編集] 住宅事業部門
[編集] スバル自動車商品
[編集] 現行車種
[編集] 乗用車
[編集] 軽乗用車
[編集] 日本未発売車種
[編集] 過去の国内販売車種
- スバル1500:(P-1)発売には至らなかった幻の車。
- スバル360
- スバル1000/スバルff-1
- スバル・R-2
- レオーネ
- レックス
- ドミンゴ
- ジャスティ
- アルシオーネ
- アルシオーネSVX
- ヴィヴィオ
- スバル・ビッグホーン(OEM)
- トラヴィック(OEM)
[編集] 過去の海外販売車種
[編集] 過去の委託生産車種
[編集] 今後の車種展開
「今後発売が予想される車種」及び「今後販売終了が予想される車種」、また同様の意味を持つ節の設置についてはプロジェクトとして禁止されています。以下の節の追加には、ソースの明記を義務化する(極力一次ソースを優先する。一般紙・テレビの情報もメーカーに取材した物で、サイトに明記した情報が有れば可とする。)。
[編集] メーカーより今後発売が公表されている車種
[編集] メーカーより今後販売終了が公表されている車種
[編集] 航空宇宙
日本航空業界の名門中島飛行機の後身で、現在も航空宇宙業界第三位であり、小型練習機やボーイング社向け分担生産を中心としているが、日本興業銀行が株主となり、役員を派遣して経営陣を占めるようになると、冒険的な航空宇宙事業への理解は低くなり、T-1の後継機であるT-4の受注競争に敗れると決定的になった。菱重や川重、IHIなどと違い、現在の自社ウェブサイトには航空事業の詳しい項目が無い。US-1A改開発の際、防衛庁関連で汚職事件を起こしたことも、社名に傷を残すこととなった。一方、主翼など翼部製造の優秀さは定評があり、ボーイングからも表彰されているほか、国内開発でも貢献している。
YS-11開発参加やFA200販売で国産機の実績を積んだものの、日米共同で開発したFA-300が大失敗した為、民間機の自主制作からは手を引いていたが、21世紀に入ってから三菱や川崎が独自の旅客機計画を進めたため、10~15席程度の小型民間旅客機の開発計画を発表し、実現が期待されている。また、海外企業とも共同開発を行っている。
[編集] 沿革
- 1958年(昭和33)1月16日 - 第二次世界大戦後日本初のジェット機T-1練習機を開発し初飛行に成功する。
- 1978年(昭和53)1月17日 - T-3練習機が初飛行。3月から量産機が納入された。生産機数は50機。
- 1987年(昭和62)4月27日 - T-5練習機が初飛行。
- 主力であった航空機製造からベルエアクラフトとのライセンス契約によるヘリコプタ製造(UH-1とAH-1)へと傾き、長年低迷していたが、現体制の中期経営計画FDR-1により航空機製造を中心として息を吹き返しJIS-Q-9100制定にあたり中心的役割を果たした。
- 1994年(平成6)4月9日、ボーイング777の1号機がロールアウト。「世界最大の双発旅客機」の開発・製造に参加し中央翼を分担する。
- 2002年(平成14)7月9日 - T-3改が初飛行。2003年(平成15)4月にT-7練習機として制式採用された。
- 2002年(平成14)6月 - エアバスA380に参加。垂直尾翼前縁・翼端、フェアリングを分担する。
- 2005年(平成17)に開発が決定したボーイング787の開発にも参加している(詳しくはYX共同開発を参照)。
[編集] 納入実績
[編集] 防衛省(自衛隊)向
- T-1A/B中等練習機
- J/AQM-1 無人標的機
- 遠隔操縦観測システム FFOS
- 航空機用シミュレータ
- ライセンス生産
- T-34A練習機(ビーチクラフト)
- LM-1/2多座席連絡機(国内開発)
- KM-2練習機・TL-1練習連絡機(国内開発)
- T-3初等練習機(国内開発)
- T-5初等練習機(国内開発)
- T-7初等練習機(国内開発)
- UH-1B/H/J 多用途ヘリコプタ(ベルエアクラフト)
- AH-1S 対戦車ヘリコプタ(ベルエアクラフト)
- AH-64D 戦闘ヘリコプター(ボーイング)
- ペトリオット中距離地対空誘導弾用アンテナマストグループ(レイセオン)
- 分担生産
- F-2支援戦闘機(主翼・尾翼等)
- T-4中等練習機(主翼・尾翼・キャノピィ)
- OH-1小型観測ヘリコプタ(尾翼・キャノピィ等)
- US-1A救難飛行艇(主翼外翼・ナセル・尾翼)等
- P-3C対潜哨戒機(主翼ライセンス生産)
- U-125A救難捜索機(装備品取り付け・納入前整備)等
[編集] 民間向
- 自社開発
- FA-200 エアロスバル
- FA-300(富士710、ロックウェル・インターナショナル社と共同開発)
- ドライビング・シミュレータ
- RPH-2 無人ヘリコプター
- 分担生産
- ボーイング737(エレベータ)
- ボーイング747(エルロン、スポイラ)
- ボーイング757(アウトボードフラップ)
- ボーイング767(YX共同開発、主脚扉・翼胴フェアリング)
- ボーイング777(YX共同開発、中央翼・主脚扉・翼胴フェアリング)
- ボーイング787(YX共同開発)
- エアバスA380(垂直尾翼構造)
- ホーカー ホライゾン M4000(主翼構造及びシステム開発)
- ベルBA609 ティルトローター機(胴体構造開発)
- エクリプス・エビエーションエクリプス500(主翼)
- ボンバルディアDASH-8
- ライセンス生産
[編集] 宇宙関連機器
[編集] 産業機器
「ロビン」ブランドの小型汎用エンジンを開発、生産している。なお、現在は分社化し、富士ロビン社となっている。 これらのエンジンは取り扱いの容易さと抜群の耐久性などで、主に土木工事現場で使われるランマーや発電機、灌漑用のポンプ、構内作業車(モートラック)などに動力源として搭載される。 また、ゴルフカート、スノーモービル、ATV(バギー車)、などに搭載されるエンジンも開発、生産している。 これらのエンジンのほとんどが、OEM供給されているため、一般人の目に触れる機会はほとんど無い。
ちなみに、平成3年12月にマキタと小型エンジン機器事業において業務提携を行っていたが、3月20日にマキタが公開買付けを開始。公開買い付けには親会社である富士重工業も賛同しているため、本公開買付けは成立すると思われる。買い付け終了後は、完全子会社化、富士ロビンの商号の変更が予想される。
本
- ロビンエンジン
- EY15(汎用)
- EY20(汎用)
- EX17(汎用)
- EX30(汎用)
- EH29(ゴルフカート用)
- EH50(ATV用)
- ES50(ATV用)
- EC55(スノーモービル用)
- ロビンジェネレーター
[編集] モータースポーツ
ラリーではインプレッサが有名。かつては、レオーネやレガシィ、ヴィヴィオで参戦していた。
- 世界ラリー選手権(WRC)
- 米国ラリー選手権
- スーパー耐久
- SUPER GT
- F1(1990年シーズン、コローニにエンジンを供給。エントリーは一台のみ。全戦予備予選落ちという結果)
[編集] 環境技術
- フジマイティー(塵芥車)
- 風力発電システム
- 各種プラント
[編集] 住宅事業
富士重工では、小型のプレハブ住宅を製造しており、以前は通信販売で名高いセシールでも扱っていたことがある。
[編集] 過去の商品
[編集] 二輪車(スクーター)
[編集] バス車体架装事業
1946年に小泉ボデー製作所(当初別会社)でスタートし、日本で初めてのフレームレスモノコック構造によるリヤエンジンバス「ふじ号」(1949年)の開発に成功。後に富士自動車工業となり、スバル360等の開発を行い、現在の主力であるスバルブランドの乗用車にも発展した事業である。一時期は日産ディーゼル工業を中心に大型自動車メーカー4社のバス車体を架装し、バス車体シェア1位を誇っていたが、シャーシメーカーのバス車体内製化(子会社での生産)で生産台数が減少した。1998年に三菱ふそうと日野自動車の架装から撤退、2002年1月に日産ディーゼルがバス車体の架装を西日本車体工業(西工、福岡県北九州市小倉北区)に集約することを決定したため、同年5月に事業存続は困難と判断し、伊勢崎製作所(現在のスバルカスタマイズ工房)で行っていたバス車体架装事業を終了する決定をした。このため、バス車体架装事業は日産ディーゼルとごく少数のいすゞ自動車を最後に2003年3月で中止した(最終生産車は東濃鉄道に納入された日産ディーゼル大型観光バス)。アフターサービスはスバルカスタマイズ工房(富士重工の子会社、西工製車体のメンテも行う)が行っている。またボルボ社のシャシーを輸入し、アステローペシリーズと連節バスを製造していたが、これも2000年に生産を中止した。
詳しくはスバルカスタマイズ工房を参照。
[編集] 鉄道車両事業
1955年頃から主に客車と気動車を旧国鉄やJR、私鉄、第三セクター向けに、また、群馬・栃木に路線を持つ東武鉄道向けには電車を生産していたが、生産両数の低下により2002年5月に事業存続は困難と判断し、宇都宮車両工場(現在のエコ宇都宮工場)で行っていた鉄道車両事業を中止する決定をした。なお最後に製造された電車は東武30000系電車と気動車はJR北海道キハ261系気動車である。2003年2月に新潟トランシス新潟事業所(新潟県北蒲原郡聖籠町)へ事業譲渡。JR四国2000系気動車などの振り子式気動車はすべて富士重工製。 最終製造車両となったのは地元を走る真岡鐵道のモオカ14型一般型気動車(2両)となった。
なお、先述の伊勢崎事業所でも、東京都電2500形(軌間1067mmの杉並線専用車で、足回りは戦前の車両のものを利用。杉並線廃止後は車体のみ荒川線で再利用された)が製造されていた。
[編集] 生産された鉄道車両
[編集] 気動車
- LE-Car(2軸車 小型一般型気動車)
- LE-DC(ボギー台車 一般型気動車)
- キハ2000(JR四国発注 振り子型特急型気動車)
- 智頭急行HOT7000系気動車(振り子型特急型気動車)等、第三セクターの特急・普通型気動車
- 国鉄型気動車の一部
他
[編集] 電車
- 東武鉄道の車両の一部
- 8000系以降の通勤用車両
- 東京都電2500の改造等(国鉄型特急車両の製造歴もあり)
[編集] 客車
[編集] スノーボード
1998年には、宇宙関連機器及び航空機部門の技術を使って、ハニカム構造オールカーボンのスノーボード「VTOL」が少数販売された。尚、販売はインターネットのみ50枚限定で販売された。スバルが作ったスノーボードとして、一部のマニアには、知られた存在である。スバルと名乗らず別ブランドで販売された。現在は販売されておらず、貴重な製品である。
[編集] キャッチフレーズ
- 「Think feel drive」(2003年-)
[編集] 提供している主な番組
- 水曜ドラマ (日本テレビ)(22:00~22:54迄)(この時間枠のスポンサーを2001年4月から2006年3月まで5年間勤めたホンダから引き継いだ)
- くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!(2007年3月15日で終了)
- 幸せって何だっけ~カズカズの宝話~
[編集] 関連項目
- スバルテクニカインターナショナル(STI)
- SUBARU OFFTIME CRUISE
- 新井敏弘
- スバルカスタマイズ工房
- 富士重工業硬式野球部
- スバル販売会社一覧
- 太田市(群馬県)
- スバル最中
- FM TARO
- FJ1600
- エンフィールド=ロビン・D-R400D
- ジオット・キャスピタ
- 矢島タクシー
- 北宇都宮駐屯地
- ディノス・レックス
- サーフジェット
- スバルビジターセンター
[編集] 外部リンク
- 富士重工業株式会社
- 富士重工製路線バスのページ
- スバル
- スバル・モータースポーツ
- スバル用品株式会社
- All Subaru cars since 1954 with pictures and timeline
- 自動車CM大全 - スバル(富士重工)のCM INDEX
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