XF5F (航空機)
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F5F スカイロケットはグラマン社が世界最初の双発単座艦上戦闘機として計画した機体である。1940年試作1号機が完成すると軍は華々しく公表し一躍世界の航空界に注目されたが、実態は1機のみの製作でプロパガンダに終わった。
[編集] 概要
1938年にアメリカ海軍はグラマン社に対し、双発艦上戦闘機の試作を発注した。本機は胴体の長さを極力縮め主翼の前に胴体部分がないという、前例の無い形状をとっていた。これは、着艦時の視界を確保すると同時に、2基のエンジンのプロペラ中心間隔を小さくして機体を引っ張るという設計思想であった。また、空母甲板上での運用のために機体の寸法は単発機並に抑えられ全体にコンパクトにまとまっていた。計画では、機首に23ミリ砲を装着し最大速度700km/hの予定であったが、武装については途中で12.7ミリ機関銃4挺に変更されている。エンジンは当初予定していた物が間に合わず、やむを得ず直径の大きな星型エンジンを装備した。
試作1号機は1940年3月に完成しグラマン社内でテストを行ったが、上昇力に優れていたため「スカイロケット」と名づけられた。1941年には海軍に引き渡されテストを開始したが、エンジンカウルと胴体の空気抵抗が予想と大きく乖離したために最大速度は600kmを下回り(海面上では600km/hを超えていた)、胴体の短さによるペイロードの脆弱さ等、新機軸につきものの難点を数多く指摘された。グラマン社では、胴体の補強、機首の延長、プロペラスピナーの追加などの改修を行ったが、機体重量が増加したため速度性能が低下した他、大きなエンジンカウルによる視界不良は艦上機としては致命的であった。
1942年にはF4Uが高性能を示していたため海軍ではXF5Fに対する興味は薄れ、またグラマン社でも新型双発艦上戦闘機(F7F)の開発にとりかかることになったため、1942年9月にXF5Fの開発は中止となった。1機のみ生産された試作機はその後もテストが継続されたが、1944年に着陸に失敗して胴体を破損し廃棄処分となった。しかし、本機で得られたデータはF7F開発上重要な役割を果たした。なお、グラマン社では陸軍向けに胴体を流線型にし前脚式降着装置を備えた機体(社内名称:G-46)をXP-50として試作したが、初飛行に失敗して機体を破損しそのまま開発中止となった。
1機の試作で終わった機体であったが、特徴的な機体形状を利用して海軍の宣伝等に利用された。そのため知名度は当時かなり高い機体であり、現在残っている写真類も一機のみの試作機にしては多い。
[編集] 要目
- 全長:9.80m
- 全高:3.7m
- 全幅:12.8m
- 翼面積:28.2m²
- 自重:3630kg
- 総重量:4540kg
- エンジン:ライトR-1820-40空冷星型9気筒レシプロエンジン(出力 1,200馬力×2)
- 最大速度:586 km/h(高度5,270 m時)
- 航続距離:1250km
- 実用上昇限度:10,500m
- 武装:23mm機銃×2または12.7mm機銃×4
[編集] 関連項目
- 戦闘機一覧
- ホワールウィンド (航空機) - イギリス空軍の双発単座戦闘機。
- ラバウル烈風空戦録 - 川又千秋の架空戦記。F5Fが少数ながら量産され、日本海軍の二式双戦(架空機)と対決する。