すがやみつる
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すがや みつる (1950年9月20日 -)は、静岡県富士市出身の日本の漫画家、小説家。小説は本名の菅谷 充名義で発表。
代表作は、少年漫画『ゲームセンターあらし』である。コロコロコミックに連載されたこの作品は大ヒットし、影響を受けてゲーム業界に入った者も少なくない。
1972年、『冒険王』(秋田書店)に掲載の『仮面ライダー』(原作 石ノ森章太郎)でデビューし、少年漫画を中心に活発な執筆活動を行うが、そのかたわらモータースポーツに関心をもち、パソコン通信を通じて内外の情報を発信する。
1994年には『漆黒の独立航空隊』で小説家デビュー。以後も架空戦記ものやモータースポーツを題材とした小説を精力的に発表している。コンピュータや実務に関するノンフィクション作品でも知られる。現在は小説家としての活動が主である。
マイコン、コンピューターゲーム、パソコン通信、教養漫画、F1など、時代を先取りした題材をテーマとするが、つねに本格的な流行到来前に新たなジャンルに取り組んでいくことに定評がある。
更新手続きをしなかったために局免許が失効したが、アマチュア無線家でもあった。コールサインはJI1MFT。
目次 |
[編集] 略歴
- 1969年 漫画家になることを決意し上京、雑誌編集者を経て、石ノ森章太郎に師事
- 1972年 『仮面ライダー』で漫画家デビュー
- 1978年 『ゲームセンターあらし』を『コロコロコミック』(小学館)上にて連載開始。小中学生を中心に爆発的な人気を博し、一躍少年漫画界のトップに躍りでる
- 1983年 『ゲームセンターあらし』『こんにちは! マイコン』の両作品で「小学館漫画賞 児童漫画部門」を受賞
- 1987年 パソコン通信サービスNIFTYの「モータースポーツ・フォーラム」初代シスオペに就任。(1992年 退任)
- 1994年 小説デビュー作品、架空戦記『漆黒の独立航空隊』を発表
- 2003年 長年のモータースポーツ界への貢献を評され、日本自動車工業会「東京モーターショー2003 モータースポーツ大賞」を受賞
[編集] 主な作品
[編集] 漫画
- F1キッド
- ゲームセンターあらし
- マイコン電児ラン
- ひみつ指令マシン刑事999
- ザ・商社
- ゲームセンターあらしA
[編集] 小説
- 日本本土竜虎決戦録
- 蒼穹の艦隊
- 旭日のGP
- 灼熱の走路
- 漆黒の独立航空隊
- 龍の伝説
- 風濤の艦隊
[編集] 実用書
- コミック版最新ハム問題集
- ライバルに大差をつける超速読トレーニング
- すがやみつるのすぐできるパソコン通信(竹田津恩との共著)
- 作家・ライター志望者のための電脳文章作法
[編集] 関連作品
- TVアニメ:ゲームセンターあらし (原作)
- ゲーム:ノベルズ~ゲームセンターあらしR~ (原作、シナリオ)
[編集] 影響
- 1983年、NECの低価格ホビー用パソコンPC-6001を題材にしたパソコン紹介漫画、『こんにちはマイコン』『マイコン電児ラン』の2作品をきっかけに、コンピュータに興味を持った子供は数知れず。この2作品が発表された当時の読者で、現在はコンピュータ業界で働く者に、その道に足を踏み入れた理由を訪ねると「『こんにちはマイコン』を読んだからです」と答える者は多い。
- 「こんにちはマイコン」を発表した当時、漫画家の槙村ただし(真樹村正)やガスコン金谷(もろが卓)にパソコンの面白さを教える。その後槙村はアダルトゲーム「マリちゃん危機一髪」を製作し、金谷は「月刊ログイン (雑誌)」の編集者となる。
[編集] エピソード
- とある雑誌にて漫画原稿の締め切りに間に合わなくなった手塚治虫に代わって、原稿を一晩で描いてくれと編集部に依頼を受け、引き受ける。依頼通り原稿を仕上げるが、手塚治虫の原稿が間に合ったため雑誌には掲載されなかった。しかしちゃんと原稿料はもらえたという。同様のエピソードが藤子不二雄Aの作品「まんが道」にもある。
[編集] 師匠
[編集] アシスタント
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- すがやみつるHomepage : 公式サイト