アンシャン
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アンシャン(Anšan または Anzan 、ペルシア語で انشان Anšan, 近代以降のテペ・マルヤーン(Tepe Malyan)またはタレ・マルヤーン(Tal-e Malyan))は、イランの高原地帯に位置する古代遺跡である。北緯 29.9度、東経52.4度。
イランの南西部ファールス州、ザグロス山脈に囲まれたシーラーズ市の北西36kmにある。紀元前3千年紀にはエラムの首都であった。スーサに首都が遷った後も、エラムの王たちは「アンシャンとスサの王」を称した。
アッシリア帝国に圧倒され衰退していたエラムの中の小さな都市・アンシャンは、紀元前7世紀にアケメネス(ハカーマニシュ)の息子であるペルシア人の長、テイスペス(チャイシュピ、Teispes、紀元前675年-紀元前640年)によって征服されアケメネス朝の支配下になり、テイスペスは「アンシャン王」を名乗った。以来しばらくの間アケメネス朝の血統はアンシャン王とペルシャ王の二つに分かれていた。アケメネス朝のアンシャン王キュロス2世(大キュロス)が紀元前6世紀にアンシャンから征服を開始しペルシア帝国を拡大させた後は帝国の中核都市となり、アンシャンに残されていたエラム語やエラムの諸制度はアケメネス朝ペルシア帝国においても使用され続けた。
現在、イラン北西部の東アーザルバーイジャーン州にもアンシャン(Anzan)という町があるがこれはエラムやペルシャの中心になった町とは別の町である。
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