シーラーズ
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シーラーズ(شیراز , Shirāz)はイラン南西部の都市。ファールス州の州都。人口は1,050,000人(1996年)。ザグロス山脈中に位置し、海抜1486m。
1750年から1794年まで、ザンド朝ペルシアの首都であった。
町の名は、古くはエラム語でティラジシュ(Tiraziš)と書かれていた。ティラチス(tiračis)、あるいはチラチス(ćiračis)と呼ばれていたと考えられる。その名は、シラージシュ(širājiš)として古代ペルシア語に入り、音変化を経て、現代ペルシア語のシーラーズ(Shirāz)となった。
気候は温和であり、ブドウや柑橘類、綿、米などが栽培されている。セメント製造や、砂糖、肥料、繊維製品、木製品、金属加工などの生産が主な産業。シーラーズはイランの電気産業や石油精製の一大拠点でもある。また、絨毯や花卉栽培でも有名。
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[編集] 名所・旧蹟
- ハーフィズ廟
- サーディー廟
- マスジェデ・ジャミイ寺院 (875年)
- シャー・チェラーグ廟 (14世紀)
- ナシール・アルムルク寺院 (19世紀)
イランの文化遺産協会によれば、シーラーズには歴史的な意義を持つ200を越える旧蹟がある。
また、シーラーズの付近には、ペルセポリスやビシャプール、パサルガダエ、フィルーザバードなどの古都の遺跡がある。
[編集] 歴史
ファールス州は紀元前700年ごろから栄えた強大なアケメネス朝ペルシア帝国の中心地であった。約2500年前の首都ペルセポリスの遺跡が、シーラーズ市から北東に60kmのところに残る。フィルーザバードやパサルガド(パサルガダエ)の遺跡も同じくアケメネス朝時代のものである。
7世紀ごろに、アラブ人の勢力拡大に伴い、それまでの地方長官が権力を失った後、発展した。アラブ人によって征服されて以後の主なできごとは以下の通り。
13世紀から16世紀にかけて、詩人サーディーやハーフィズ、哲学者モッサー・マドラーらを輩出し、イランの文芸・学問の中心となった。
- 1630年 - 洪水で町の大部分が破壊される。
- 1668年 - 洪水が再び町を襲う。
- 1724年 - アフガン族によって征服される。
- 1750年 - ザンド朝ペルシア建国。シーラーズはその首都となる。多くの著名な建築物が改修、再建され、繁栄した。
- 1794年 - ザンド朝が滅亡。
- 1824年 - 地震で町の一部が破壊される。
- 1853年 - 大地震が起こる。
- 1945年 - シーラーズ大学が開設される。
パフラヴィー朝の時代には、シャーはシーラーズを「イランのパリ」にすべく大金を投じ、町は数あるイランの都市のなかでもとくに近代的な大きな都市となった。1971年には、ペルシア帝国の建国から2500周年を記念する式典が、ペルセポリスとシーラーズで催された。
しかし、イラン革命の後、シーラーズは政府からパフラヴィー時代の退廃の象徴と見なされるようになり、衰退した。革命から30年以上が経過した現在も、パフラヴィー朝時代に建設が開始された未完成の建造物がいくつも放置されている。これは、革命政府がシーラーズのような近代的な都市よりも、イスファハーンのようなイスラム文化の中心的な都市をイランのイメージとして尊重したためである。
[編集] 国際空港
[編集] シーラーズ大学
シーラーズ大学は1960年代、1970年代には英語で教育が行なわれ、イラン国内でも有数の優れた大学であった。
現在、そのほかの主な大学に、
- シーラーズ医科大学
- シーラーズ・イスラム・アザド大学
- マルヴダシュト・イスラム・アザド大学
などがある。
[編集] シーラーズの出身者
- シーバワイヒ (アラビア語の文法学の嚆矢の一人)
- サーディー (作家、詩人)
- ハーフィズ (詩人)
- モッラー・サドラー (哲学者)
- ザハラ・カゼミ (写真家)