アントワーヌ・ラヴォアジエ
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アントワーヌ・ラヴォアジエ(Antoine Lavoisier, 1743年8月26日 - 1794年5月8日)はフランス、パリ出身の化学者。フルネームはアントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエ (Antoine-Laurent de Lavoisier)。
[編集] 経緯と業績
ラヴォアジェの功績は多岐にわたる。
それまでは燃焼とは物質に含まれているフロギストンが空気中にでていくというフロギストン説が支配的であった。彼は1777年に燃焼とは物質と酸素が結合することであると説明した。
また、彼は精密な定量実験を行い、反応前後では質量が変化しない質量保存の法則の発見といった業績を残した。
彼は裕福な生まれだったが、それでも実験器具を買う費用が必要だった。そのため、彼は市民から税金を取り立てて国王に引き渡す「徴税請負人」の職業に就いていた(後述)。
フランスの科学者ベルトレらとともに、物質の命名法を確立し、元素を定義付けたりもした。また、水の成分が酸素と水素であることを説明した。
ちなみに、熱が物質であるというカロリック説には肯定的であった。酸の元は酸素であると考えて(本当は水素イオン)、この名称をつけた。
1789年、ラヴォアジエは「化学の初め」を出版し、33の元素表を示し、近代化学の革命を成し遂げた。
ルイ16世支配時の1791年に国家財政委員に就任し、フランスの金融・徴税システムを改革しようとした。しかし、フランス革命勃発後の1793年に徴税吏であること、徴税請負人の長官の娘と結婚したことなどを理由に投獄された。徴税請負人は市民から正規の税+高額な手数料をとったため革命政府の標的とされた。ラヴォアジェ自身はそこまでひどい徴税はせず、むしろ税の負担を減らそうと努力していたが、1794年5月8日の革命裁判所の審判で死刑とされ、その日のうちに、ギロチンで処刑された。実際は新聞記者であったジャン=ポール・マラーの学会入会に強く反対し、(論文の出来がひどかった)その逆恨みで処刑されたらしい(マラーは革命の指導者で恐怖政治の大立物)。
「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」と、処刑の光景を見て天文学者のジョゼフ=ルイ・ラグランジュは嘆いたとされる。
現在ではパリの市役所に功績をたたえ、彼の像が飾られている。