アーチャー・マーティン
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アーチャー・マーティン(Archer John Porter Martin,1910年3月1日-2002年7月28日)はイギリスロンドン出身の化学者。1952年のノーベル化学賞受賞者である。
開業医の父のもとに生まれ、ベッドフォード校とケンブリッジ大学で教育を受ける。最初は物理化学実験室で働き、その後ダン・ニュートリショナル研究室に移り、1938年にはリーズにある羊毛産業調査研究所へ配属された。1946年にブーツピュアドラッグ社の生化学部門の統括になり、1948年までその職にあった。彼はこの時、医療研究評議会の職も掛け持ちしていた。1952年、国立医療研究所の物理化学部門の部長となった。また、1956年から1959年まで化学顧問の職にあった。
彼は生化学を専門にしており、ビタミンEとビタミンB2の性質を調べ、クロマトグラフィーによる分類を行い、その技術の確立に寄与した。また、アミノ酸の分離においてもクロマトグラフィーを用い、気液クロマトグラフィーや分配クロマトグラフィーを開発した。
カテゴリ: イギリスの化学者 | ノーベル化学賞受賞者 | 1910年生 | 2002年没