イチフジイサミ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1970年3月12日 |
死没 | 1992年10月30日 |
父 | オンリーフォアライフ |
母 | メニナ |
生産 | 千代田牧場静内支場 |
生国 | 日本(北海道静内町) |
馬主 | 保坂勇 |
調教師 | 松永光雄(中山) |
競走成績 | 41戦7勝 |
獲得賞金 | 1億6458万4500円 |
イチフジイサミは、競走馬。1975年に天皇賞(春)を制した、長距離系オンリーフォアライフの代表産駒。
未勝利を勝ち上がるのに10戦近く要したが、1973年(昭和48年)の東京優駿(日本ダービー)ではタケホープに次いで2着に入線した。直線では怪物ハイセイコーを交わし一旦は先頭に立ったものの外からタケホープに交わされた。このレース、運が悪いことに主戦・郷原洋行が怪我のために乗れず、最後の直線でタケホープに馬体を寄せられる不利を受けての敗退であった。セントライト記念2着で挑んだ菊花賞は3着。翌々年の春にダイヤモンドステークス4着の後、天皇賞に挑戦し49年度の二冠馬でダービー3着のキタノカチドキを直線で競り落とし見事優勝した。
晩年は不遇であった。何と種牡馬として売られた牧場が肝心の代金を払わず、千代田牧場が裁判を起こす事になった。この裁判沙汰のドタバタでイチフジイサミは行方不明、何とか鵡川の牧場で当て馬になっていた所を発見され、無事千代田牧場に帰還となった。その後、田原安田牧場に移ったイチフジイサミは放浪生活の無理が祟ったのか、持病の喘息に苦しむこととなった。結局、持病の喘息のために安楽死処分となった。