ウィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル
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ウィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル(William Woodville Rockhill, 1854年4月1日 - 1914年12月8日)は、政治家、外交官、東洋学者[1]。
[編集] 生涯
1854年、ロックヒルはペンシルバニア州フィラデルフィアにおいて、トマス・キャドワレイダー・ロックヒル (Thomas Cadwalader Rockhill, 1820-1849) とドロシア・アン・ウッドヴィル (Dorothea Anne Woodville, 1823-1913) の第2子として誕生した[2]。ロックヒルはフランスで学び、その後30年間にわたって極東で外交官職を務めた。ロックヒルは1884年から1887年まで清およびその属国である李氏朝鮮で大使館員を務めた[3]。1884年、ロックヒルは『仏陀の生涯』をフランス語に翻訳して出版した[3]。ロックヒルはまた、モンゴルやチベットを歴訪し、その成果をスミソニアン博物館に寄贈した[4]。チベットを訪問した際には、ダライ・ラマ13世と会談した[5]。
ロックヒルは1894年から1896年までアメリカ合衆国第三国務次官補を、1896年から1897年までアメリカ合衆国国務次官補を務めた[6][7]。そして1898年から1899年まではギリシャ、ルーマニア、およびセルビアにおいて合衆国特命全権公使を務めた[8][9][10]。このときロックヒルはギリシャのアテネを駐在地とした。
1900年、清で義和団事変が発生した際、ロックヒルは合衆国の特派員として北京に赴いた[5]。その後1905年から1909年までロックヒルは清で特命全権公使を務めた[11]。このときロックヒルが収集した希少な中国美術品は、合衆国議会図書館に収蔵されている[3]。ロックヒルは1909年から1911年まで駐ロシア大使を[12]、1911年から1913年まで駐オスマン帝国大使を[13]務めた。
ロックヒルは1914年にハワイ州ホノルルで死去した。ロックヒルの遺体はコネチカット州リッチフィールドのイースト墓地に埋葬された[14]。
[編集] 参考文献
- ^ http://worldconnect.rootsweb.com/cgi-bin/igm.cgi?op=GET&db=waynehb&id=I4361
- ^ http://worldconnect.rootsweb.com/cgi-bin/igm.cgi?op=GET&db=brucen&id=I12276
- ^ a b c Crystal Reference Encyclopedia
- ^ http://www.polybiblio.com/shapero/53936.html
- ^ a b U.S. Ministers and Ambassadors to Russia
- ^ U.S. Department of State - Third Assistant Secretary of State.
- ^ U.S. Department of State - Assistant Secretary of State.
- ^ U.S. Department of State - Chiefs of Mission by Country: Greece
- ^ U.S. Department of State - Chiefs of Mission by Country: Yugoslavia
- ^ U.S. Department of State - Chiefs of Mission by Country: Romania
- ^ U.S. Department of State - Chiefs of Mission by Country: China
- ^ U.S. Department of State - Chiefs of Mission by Country: Russia
- ^ U.S. Department of State - Chiefs of Mission by Country: Turkey
- ^ The Political Graveyard
官職 | ||
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先代: エドワード・ストロベル |
アメリカ合衆国第三国務次官補 1894年4月17日 - 1896年2月13日 |
次代: ウィリアム・ウッドワード・ボールドウィン |
先代: エドウィン・ウール |
アメリカ合衆国国務次官補 1896年2月11日 - 1897年5月10日 |
次代: ウィリアム・デイ |
先代: エベン・アレクサンダー |
ギリシャ駐箚アメリカ合衆国特命全権公使 1897年9月25日 - 1899年4月27日 |
次代: アーサー・ハーディー |
先代: エベン・アレクサンダー |
セルビア駐箚アメリカ合衆国特命全権公使 1898年5月7日 - 1899年4月27日 |
次代: アーサー・ハーディー |
先代: エベン・アレクサンダー |
ルーマニア駐箚アメリカ合衆国特命全権公使 1898年5月18日 - 1899年4月27日 |
次代: アーサー・ハーディー |
先代: チャールズ・クレイン |
清国駐箚アメリカ合衆国特命全権公使 1905年6月17日 - 1909年6月1日 |
次代: ポール・ラインシュ |
先代: ジョン・リドル |
ロシア駐箚アメリカ合衆国特命全権大使 1910年1月11日 - 1911年6月17日 |
次代: カーティス・ギルド |
先代: オスカー・ストラウス |
オスマン帝国駐箚アメリカ合衆国特命全権大使 1911年8月28日 - 1913年11月20日 |
次代: ヘンリー・モーゲンソウ |