アテネ
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アテネ(Αθήνα, Athena)は、ギリシャ共和国の首都。古名はアテナイといい、古代ギリシアにおいて強力な都市国家の中心として栄えたことで広く知られる。英名Athens。中国語表記では「雅典」。(日本語における漢字表記も同じ)
ギリシャの首都として同国の政治・経済の中心地であるほか、東方正教会に属しギリシャ一国(クレタ島を除く)を管轄するギリシャ正教会の首長であるアテネ大主教が座し、精神的な中心地でもある。東方正教会におけるアテネの守護聖人はディオニシオス・オ・アレオパギティス、イェロテオス、フィロテア。
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[編集] 歴史
古代のアテネについて詳しくは、アテナイ参照
アテネは古名をアテナイという。古代より栄えた商業都市であり、古代ギリシア時代には都市国家(ポリス)を形成した。紀元前6世紀頃の都市国家アテナイはアッティカ地方全域を支配してスパルタと並ぶ強国で、民主政を発展させた。ペルシア戦争ではギリシアの都市国家連合の雄としてペルシア帝国軍の撃退に大きく貢献、戦後結成されたデロス同盟では盟主となり、ギリシャの中心都市として学芸と文化の都となった。しかし、その後スパルタとの間で戦われたペロポネソス戦争に敗れて以降は衰退を見せ始め、民主政は保ち続けたものの、紀元前4世紀にマケドニア王国に屈服してから政治的には独立を失った。
その後、ローマの属領となりながらもギリシア世界における学芸の都として栄えつづけたが、古代末期、ローマ帝国からビザンツ帝国を経てオスマン帝国の時代に至るまで政治的・文化的な重要性は失われ、ほとんど寒村といってよい状態であった。
18世紀後半に入ると、ヨーロッパでロマン主義の盛り上がりとともに古代ギリシア文明の中心地として注目を浴びるようになり、それに刺激されておこったギリシャ人のナショナリズムにおいて精神的な中心地として地位を高めた。1830年にオスマン帝国から独立を果たしたギリシャ王国は、ギリシャ・ナショナリズムの古代ギリシャ復興の風潮にあわせて1834年にアテネを首都に定め、以来ギリシャ国家の中心としてアテネは発展を始める。
アテネの町は、ギリシャ王国の初代国王オソン1世は引き連れてきたドイツ出身の官僚たちの手を借りて西欧風の都市計画が導入され、近代国家ギリシャの首都としてふさわしい都市を建設した。この時代に建設された都市や建築物が現在のアテネの町並みの原型となっている。また、古代遺跡の保護活動も進められ、アクロポリスの丘が町のシンボルとして整備された。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツに占領されたが、戦後には急速に復興するとともにギリシャの経済成長の中心として人口が集中、爆発的に増大し、大都市となった。
[編集] 年表
- 紀元前8世紀頃 - エーゲ文明消滅後、古代ギリシア人の一派イオニア人が定住し、ポリス(都市国家)が形成される。
- 紀元前7世紀頃 - 民主政が成立。
- 紀元前561年 - ペイシストラトスが僭主となる。
- 紀元前510年 - ペイシストラトスの子、僭主ヒッピアスが追放される。
- 紀元前490年 - マラトンの戦いでアテナイを主力とするギリシア重装歩兵軍団がペルシア軍を破る。
- 紀元前480年 - サラミスの海戦でテミストクレス将軍の指揮によりペルシア海軍撃破。
- 紀元前479年 - プラタイアの戦いでアケメネス朝ペルシアの勢力を完全に撃退。
- 紀元前477年 - ペルシア再侵攻に備えデロス同盟結成。
- 紀元前461年 - 指導者ペリクレス将軍の下で古代都市としての全盛期を迎える。
- この頃アテネがデロス同盟の資金を流用。
- 紀元前431年 - ペロポネソス戦争が勃発。スパルタに破れる。
- この時期からアテネは衆愚政治に陥る。
- 紀元前338年 - カイロネイアの戦いでマケドニア王国に敗れ、独立を失う。コリントス同盟(ヘラス連盟)成立。アテネ加盟
- 紀元前168年 - ローマ軍がギリシャに侵入し、ローマ支配が始まる。
- 紀元後から文化都市としても衰退を始める。
- ローマ人がギリシア化。
- 395年 - ローマ帝国分裂、ビザンツ帝国支配開始。
- 1456年 - ビザンツ帝国(東ローマ)の残存勢力が滅ぼされ、オスマン帝国領となる。
- 1830年 - ギリシャ王国の独立が承認される。
- 1834年 - ギリシャ王国の首都に定められる。
- 1896年 - 第1回夏季オリンピックが開かれる。
- 2004年 - 第28回夏季オリンピック競技大会開催。
[編集] 地理
アテネは北緯37度58分17秒、東経23度43分34秒に位置する。 全体にわたって山地が多くそのため信仰の場となっている事が多い。
[編集] 観光名所
アテネの最も有名な観光名所は、アクロポリスとそこに建設されたパルテノン神殿である。パルテノン神殿は、デロス同盟の流用資金で建造されたものとしても知られる。神殿の豪華な装飾品等は、18,19世紀にほぼイギリスにより回収運搬され、現在そのほとんどが大英博物館に保管されている。
アテネ国立考古学博物館 は、ギリシア中の様々な古代遺跡から集められた最重要な遺物の数々を収蔵している。
[編集] 交通
アテネの公共交通機関としてはバス・地下鉄・路面電車・トロリーバスがある。 地下鉄は3路線からなる。
アテネ南西の郊外に、新アテネ国際空港があり、欧州各国、中近東、アジア諸国からの多くの便がある。 またエーゲ海各島々を結ぶ交通の要所である。
日本からだとヨーロッパ各地で乗り継いでアテネ入りすることが多いが、アテネ到着が深夜になるため、成田国際空港からだとバンコク経由のタイ国際航空利用や関西国際空港からだと、シンガポール経由のシンガポール航空やドバイ経由のエミレーツ航空を利用してアテネ入りする人もいる。タイ国際航空、シンガポール航空、エミレーツ航空であれば、早朝または午前中にアテネに着くことができる。乗り継ぎ地での接続もいい。また、意外なことに成田からのタイ国際航空利用、関空からのエミレーツ航空利用がアテネへの最短ルートでもある。
[編集] 教育
[編集] スポーツ
1896年に第1回オリンピックが開かれ、108年後の2004年には第28回夏季オリンピックが開催された。また、同大会のために建設されたアテネオリンピックスポーツコンプレックスがある。1997年にも世界陸上選手権が行われた。
[編集] 行政
2004年9月現在、保守派新民主主義党のドラ・バコヤンニが市長を務める(2002年10月就任)。彼女は初の女性市長であり、オリンピック開催都市の首長が女性であったのも、2004年アテネオリンピックが初となった。
[編集] 姉妹都市
アテネは5つの姉妹都市を有している:
[編集] 関連項目
- ピレウス
- スパルタ
- フィリッポス2世
- デマゴーゴス
- オリンピアコス(アテネを本拠地とするサッカークラブチーム)
- パナシナイコス(アテネを本拠地とするサッカークラブチーム)
- AEKアテネ(アテネを本拠地とするサッカークラブチーム)
- Panionios NFC
- ユーロビジョン・ソング・コンテスト2006
[編集] 外部リンク
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