エクソダス (バンド)
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エクソダス EXODUS |
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出身地 | アメリカ合衆国 ![]() カリフォルニア州 サンフランシスコ |
活動期間 | 1980年~1992年 1997年~現在 |
ジャンル | スラッシュメタル |
レーベル | Torrid Records コンバット・レコード キャピトル・レコード センチュリー・メディア ニュークリア・ブラスト |
メンバー | ロブ・デュークス ゲイリー・ホルト リー・アルタス ジャック・ギブソン ポール・ボスタフ |
旧メンバー | ポール・バーロフ (RIP) スティーブ・ゼトロ・スーザ カーク・ハメット リック・ヒューノルト ジェフ・アンドリューズ ロブ・マッキロップ マイク・バトラー トム・ハンティング ジョン・テンペスタ |
エクソダス (EXODUS) は、アメリカ カリフォルニア州 サンフランシスコ出身のスラッシュメタルバンドである。1980年初頭より活動し1993年に一回解散するが、1997年に一時再結成を行う。2001年に再々結成し、以後継続して活動中である。
スラッシュメタル黎明期より活動を行い、メタリカ、メガデス、アンスラックス、スレイヤーなどと共にスラッシュメタルの確立に大きく寄与した。エクソダスの特徴的なザクザクとしたソリッドな独特のリフのカッティングはベイエリア・クランチと呼ばれ、世界中のスラッシュメタルバンドはもとより、デスメタルバンド達にも大きな影響を与えた。しかし、メタリカ、メガデス達が商業的に成功する中、所属レコード会社とのトラブルなどの不運が重なったこともあり、商業的に成功する事は無かった。
また、アメリカ西海岸で一緒に活動していたテスタメント、ラーズ・ロキット、フォビドゥン、ヒーゼン、デス・エンジェル、ヴァイオレンスといったスラッシュメタルバンドはいずれもベイエリア・クランチを特徴としていたこともあって他のスラッシュメタルとの差別化を図る意味でベイエリア・スラッシュと呼ばれている。
メタリカのカーク・ハメットが在籍していたことでも有名である。
目次 |
[編集] 略歴
- 1980年頃に当時高校生だったカーク・ハメット、トム・ハンティングらによって結成され、ジューダス・プリーストのカバーなどを演奏していたという。
- 1982年にゲイリー・ホルト、ジェフ・アンドリューズ、ポール・バーロフが加入し地元のクラブなどで本格的に活動を始める。
- 1983年にカーク・ハメットがメタリカへデイブ・ムステインの後任として加入するために脱退すると、後任にリック・ヒューノルトが加入し、続いてベースがロブ・マッキロップに交代する。
- 1985年にTorrid Recordsと契約しデビュー・アルバム『Bonded by Blood』をリリース。アルバムリリース後のツアーでは、スレイヤー、ヴェノム等と共演しその模様は『Combat Tour - The Ultimate Revenge』としてリリースされる。
- 1986年、ポール・バーロフが脱退。地元のローカル・バンドのレガシー(後のテスタメント)のスティーブ・スーザを後任に迎えるが、Torrid Recordとの間にトラブルが起こり活動が停滞してしまう。その後、新たにコンバット・レコードと契約し2ndアルバム『Pleasures Of The Flesh』をリリース。
- 1989年には3rdアルバム『Fabulous Disaster』をリリース。ヨーロッパツアーや、アメリカでアンスラックス、ハロウィン等との「MTV Headbangers Ball Tour」を行うなど順調な活動を行うが、ツアーに疲れたとの理由でトム・ハンティング(Ds)が脱退してしまい、後任にアンスラックスのローディーをやっていたジョン・テンペスタが加入する。
- 1990年にキャピトル・レコードより4thアルバム『Impact Is Imminet』でメジャーデビューを飾る。このアルバムではゲイリー・ホルトとリック・ヒューノルトの二人がH-Teamとしてプロデュースを行った。アルバムリリース後、スイサイダル・テンデンシーズ等とアメリカツアーを行った他、12月には初めての日本公演を行う。
- コンバット・レコードとの契約消化のため1990年にライブアルバム『Good Friendly Violent Fun』(1989年7月に地元サンフランシスコで行われたライブ)、1991年にベストアルバム『Lessons In Violence』(1st~3rdまでのベスト)がリリースされる。
- 1992年にジューダス・プリーストなどのプロデュースで有名なクリス・タンガリーディスをプロデューサーに迎えレコーディングを行い、5thアルバム『Force Of Habbit』をリリースするが、ニルヴァーナ、パンテラの台頭や、メタリカのブラックアルバムのヒットに影響され、メタル・シーンがヘヴィでグルーブ重視の方向に進む中、彼等もスピードを抑え目でグルーブ主体の曲に路線を変更してしまい、ファンの不評を買ってしまう。また、レコード会社のサポートも得られないまま、活動が停滞してしまい、ジョン・テンペスタの脱退を機にバンドは解散を決意する。
- 1993年5月に予定されていた日本公演のため、モードレッドのギャノン・ホールをヘルプに迎え来日公演を行い、その後解散。
- 1997年にポール・バーロフ、ゲイリー・ホルト、リック・ヒューノルト、ジャック・ギブソン、トム・ハンティングのメンバーで一時的に再結成を行い、3月8日に地元サンフランシスコでショーを行う。この模様を記録したライブCD『Another Lesson In Violence』をセンチュリー・メディアよりリリースした。
- 2001年に癌との闘病中だったテスタメントのボーカル、チャック・ビリーの為のベネフィットイベント「Thrash Of The Titans」に出演。このイベントのためデス・エンジェル、フォビドゥン、ヴァイオレンス、ヒーゼン、ラーズ・ロキットなどの多くのベイエリア・スラッシュメタルバンドが一時的に再結成を行う。このイベントの成功により再結成後、活動を継続するバンドも多数出て、エクソダスも活動を継続することになる。
- 2002年にポール・バーロフが脳卒中で亡くなり、後任としてスティーブ・スーザが復帰する。
- 2003年8月にニュークリア・ブラストと契約を行い、アーク・エネミー、テスタメント、クリーター、ネヴァーモア等のアルバムを手掛けたことで有名なアンディ・スニープをプロデューサーに迎えレコーディングを行う。
- 2004年、復活第一弾となる6thアルバム『Tempo Of The Damned』をリリースし、3度目の日本公演を行う。しかし日本公演の直後にスティーブ・スーザが解雇されてしまう。予定されていた南米ツアーをイグクジュームドのマット・ハーヴェイ、スキンラブのスティーブ・エスクイヴェルらをヘルプに迎え行う。
- 2006年、スティーヴの後任にロブ・デュークスが加入し新作のレコーディングに入るが、今度はトム・ハンティング、リック・ヒューノルトが脱退し、ヒーゼンのリー・アルタス、テスタメントを脱退したばかりのポール・ボスタフが加入し、再びアンディ・スニープと共にレコーディングを行い、7thアルバム『Shovel Headed Kill Machine』をリリースした。
[編集] 備考
- ゲイリー・ホルトとリック・ヒューノルトの二人は二人の姓の頭文字から名付けられた「H-Team」という名でパニックなど、いくつかのバンドのプロデュースを行った。
[編集] メンバー
[編集] 現在のメンバー
- ロブ・デュークス Rob Dukes (Vo) (2005- )
- ゲイリー・ホルト Gary Holt (G) (1981-1992, 1997- )
- リー・アルタス Lee Altus (G) (2005- )
- 1981年にロシア(旧ソ連)から亡命しアメリカに帰化し、ヒーゼンを結成し活動していたが1991年に解散。2001年にヒーゼンを再結成。他に2003年からはエンジェル・ウィッチのメンバーとしても活動を行っていた。
- ジャック・ギブソン Jack Gibson (B) (1997- )
- デスメタルバンドヴァイルでも活動中。
- ポール・ボスタフ Paul Bostaph (Ds) (2005- )
[編集] 過去のメンバー
ボーカル
- ポール・バーロフ Paul Baloff (Vo) (1981-1986, 1997-2002)
- ドラッグなどの影響による脳卒中が原因で2002年2月2日に41歳で亡くなる。
- 1988年頃には、一時的にヒーゼンに在籍。
- スティーブ・ゼトロ・スーザ Steve "Zetro" Souza (Vo) (1986-1992, 2002-2004)
ギター
- カーク・ハメット Kirk Hammett (G) (1981-1983)
- バンドの創設者。現在はメタリカで活動中。
- リック・ヒューノルト Rick Hunolt (G) (1983-1990, 1997-2005)
ベース
- ジェフ・アンドリューズ Geoff Andrews (B) (1981-1983)
- ロブ・マッキロップ Rob McKillop (B) (1983-1990)
- マイク・バトラー Mike Butler (B) (1990-1992)
ドラム
- トム・ハンティング Tom Hunting (Ds) (1981-1989, 1997-2005)
- バンドの創設者。1989年、2005年のいずれも健康を理由に脱退している。
- ジョン・テンペスタ John Tempesta (Ds) (1990-1992)
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- 1985年 Bonded by Blood
- 1987年 Pleasures of the Flesh
- 1989年 Fabulous Disaster
- 1990年 Impact is Imminent
- 1992年 Force of Habit Capitol
- 2004年 Tempo of the Damned
- 2005年 Shovel Headed Kill Machine
[編集] ライブ
- 1991年 Good Friendly Violent Fun
- 1997年 Another Lesson In Violence
[編集] ベスト
- 1992年 Lessons In Violence
[編集] シングル・ミニアルバム
- 1990年 Objection Overruled
- 1990年 The Lunatic Parade
- 1993年 War Is My Shepherd