エドアール・ダラディエ
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エドアール・ダラディエ(Édouard Daladier, 1884年6月18日-1970年10月10日)はフランスの政治家、首相(任1933年、1934年、1938年~1940年)。
[編集] 生涯
1936年急進社会党党首となり、ブルム内閣に参加。1938年に首相に就任するとミュンヘン会談に参加し対独宥和政策に基づいて英仏独伊四国協定に調印した。1940年3月にドイツ軍のフランス侵攻に伴い、首相を辞任し、ドイツに抑留された。 ネヴィル・チェンバレンと同じく弱腰外交と見られがちだが、ドイツへの不信から宥和政策に懐疑的であったものの、国防相経験者であったためフランス軍がドイツ軍と戦える状態でなかったことを認識していたため、軍の体勢が整うまでの猶予期間を得るためにやむを得ず、宥和政策を遂行していった。