エミリアーノ・モレッティ
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エミリアーノ・モレッティ(Emiliano Moretti、1981年6月11日 - )は、イタリア・ローマ出身のリーガ・エスパニョーラ・バレンシアCFのサッカー選手(DF)。
[編集] 経歴
セリエC1でデビュー後、19歳の若さでフィオレンティーナに引き抜かれ、2001-2002シーズンはフィオレンティーナで左サイドバックのレギュラーの座を勝ち取る。その活躍によりユヴェントスへ移籍、順調なキャリアアップを見せたかに思われたが、出場機会は少なく、モデナにレンタルされた。その後、パルマに移籍するも再びボローニャでのレンタル生活を余儀無くされた。ボローニャでは3バックの一角、そして4バックの左をこなしチームに貢献、バレンシアに実力を認められ、移籍の運びとなった。バレンシアには同じ左サイドバックのイタリア人、アメデオ・カルボーニの後継者とする狙いがあったようだ。2005-2006シーズンには33試合に先発、ライバルのブラジル人DFファビオ・アウレリオの移籍が決定し、2011年までの契約延長も勝ち取って安泰かと思われた矢先にスペイン代表の左サイドバック、アシエル・デル・オルノの獲得が決定したものの、デル・オルノの長期離脱もあって2006-2007シーズンもレギュラーとして活躍している。
イタリア代表としては、U-17、U-21(優勝)、U-23と各世代で出場を果たしてきたが、A代表デビューは未だない。
ファンキーな公式ホームページを開設していたり、2005-2006シーズンのホーム最終節において試合中に負傷した振りをしてアメデオ・カルボーニに花道を作ったことから最近は日本でもファンを増やしている。
[編集] プレースタイル
CBもこなすユーテリティー性と、フィジカルを生かした堅実なディフェンスがウリである。一方で、サイドバックとしては攻め上がりが少なすぎるという批判もある。しかしキケ・サンチェス・フローレス監督がより攻撃的なサッカーへのシフトを期した2006-2007シーズンは、その課題も解決されつつある。
[編集] クラブ歴
- ロディジャーニ(現・チスコ・ローマ)(イタリア) 1998-2000
- フィオレンティーナ(イタリア) 2000-2002
- ユヴェントス(イタリア) 2002-2003.1
- モデナ(イタリア) 2003.1-2003.6
- パルマ(イタリア) 2003.6-2003.8
- ボローニャ(イタリア) 2003.8-2004
- バレンシア(スペイン) 2004-
バレンシアCF - 2006-2007 |
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1 カニサレス | 2 ミゲル | 3 デル・オルノ | 4 アジャラ | 5 マルチェナ | 6 アルベルダ | 7 ビジャ | 8 バラハ | 9 モリエンテス | 10 アングロ | 11 レゲイロ | 13 モラ | 14 ビセンテ | 15 ホアキン | 16 ヴィアナ | 17 ナバーロ | 18 ロペス | 19 ガビラン | 20 アルビオル | 21 シルバ | 22 エドゥ | 23 トーレス | 24 モレッティ | 25 ビュテル | 26 セラ | 27 パブロ | 28 ナチョ・インサ | 29 コルコレス | 30 ニゲス | 31 パジャルド | 監督 フローレス | |
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