サンティアゴ・カニサレス
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サンティアゴ・カニサレス(José Santiago Cañizares Ruiz、1969年12月18日 - )は、スペイン・カスティーリャ・ラ・マンチャ州シウダー・レアル県プエルトジャーノ出身のリーガ・エスパニョーラ・バレンシア所属のサッカー選手(GK)。
[編集] 経歴
愛称は「サンティ」。1988年にレアル・マドリードでキャリアをスタート。しかしなかなか出場機会に恵まれず、2部リーグを転々とし、1992年にセルタでデビューを飾る。そのデビューイヤーにサモーラ賞を獲得。1994年にレアル・マドリードに復帰。しかし、元ドイツ代表GKのボド・イルクナーの存在が大きく、正GKの座は確保できなかった。クラブでは控えGKながらも、スペイン代表には常に召集されていた。1998年にバレンシアに移籍した。
バレンシア移籍後は正GKの座を掴み、スペイン代表でも正GKの座に登りつめた。2002年のワールドカップでは活躍を期待されるが、大会直前に香水の瓶を落として足を負傷して出場できなかった。
しかし、チームの守備の要として活躍し、2001-2002、2003-2004シーズンのリーガ優勝や1999-2000、2000-2001シーズンと2年連続UEFAチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献している。また、2000-2001、2001-2002、2003-2004シーズンと通算4度のサモーラ賞を獲得。
2004-2005シーズンはチームの不調に引きずられるように、自身も低パフォーマンスに陥り、スタメンの座を失うこともあった。 しかし、2005-2006シーズン、新監督のキケ・サンチェス・フローレスが連れてきたGKコーチの独特の指導により見事に復活した。
銀色に染め上げた髪がトレードマーク。
[編集] プレイスタイル
抜群の安定感を誇る老練なGKであり、質の高いプレイと的確なコーチングにチーム内での信頼は厚い。セービングの技術は世界でも屈指で、フォームも美しい。かつては正確なフィードキックでバレンシアの武器であるカウンターアタックの基点になっていた。
[編集] クラブ歴
- レアル・マドリード(スペイン) 1988-1989
- レアル・マドリードB(スペイン) 1986-1990
- エルチェCF(スペイン) 1990-1991
- UDメリダ(スペイン) 1991-1992
- セルタ(スペイン) 1992-1994
- レアル・マドリード(スペイン) 1994-1998
- バレンシア(スペイン) 1998-
バレンシアCF - 2006-2007 |
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