エンリケ3世 (カスティーリャ王)
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エンリケ3世(スペイン語:Enrique III, 1379年10月4日 - 1406年)は、カスティーリャ王国(トラスタマラ朝)の国王(在位:1390年 - 1406年)。「病弱王(el Doliente)」と呼ばれる。アラゴン王フアン2世とその王妃であったアラゴン王ペドロ4世の王女レオノールの息子。
[編集] 生涯
エンリケはカスティーリャ王国の首都であったブルゴスで生まれ、王太子となった(王太子としてアストゥリアス公の称号を得た最初の人物である)。そして1390年、父王の死去によって11歳で王位を嗣ぎ、14歳から親政を始めた。彼は国王顧問会議に下級貴族を登用して王権を強化し、さらに都市の統制のためにコレヒドール(国王代官)を派遣した。
エンリケ3世は、1400年に海賊船を中心とする艦隊を派兵して北アフリカのテトゥワンを破壊するなど、イギリスに対して何度か勝利を収めた。また1402年にはフランスの探検家ジャン・ド・ベタンクールを派遣し、カナリア諸島の植民を始めた。さらにティムールに対しても使者を派遣している。
1388年にエンリケはランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘キャサリン(スペイン語名カタリナ)と結婚した。カタリナの母コンスタンスはペドロ1世の娘であり、この婚姻によってトラスタマラ朝の正統性が強化された。
1406年、エンリケ3世はトレドで死去した。王位はカタリナの間にもうけた王子フアンがフアン2世として嗣いだが、未成年だったためカタリナが摂政となった。
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