オランダの戦艦建造計画
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オランダの戦艦建造計画(おらんだのせんかんけんぞうけいかく)として、オランダが建造を企画したものの実現に至らなかった戦艦について本項に記述する。
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[編集] 背景
近代から第二次世界大戦までのオランダ海軍の基本方針は以下のようなものであった。
オランダは国力の問題から本国と植民地の両方に充分な兵力を配備することは不可能であるため、資源の少ない本国より実入りの良い植民地の防衛に戦力を割くという欧州の国としては珍しい選択肢を取っていた。海防戦艦等の大型艦や軽巡洋艦、駆逐艦の大部分は植民地防護に回され、またオランダ領インドシナ(蘭印)向けに小国としては有力な艦が計画されていた。
[編集] 7,600t海防戦艦案
1912年に海防戦艦デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン(De Zeven Provincien)の発展形として排水量 7,600t の海防戦艦を 4隻整備する提案が議会に提出された。だが、より強力な戦艦を、と言う海軍関係者の強い要望により1912年には排水量 20,688tの戦艦整備計画に発展した。
諸元
- 基準排水量:7,600トン
- 兵装:25cm 連装砲2基(28cm の説あり)
- 最大速力:18ノット
- 同型艦:4隻
[編集] 20,688t戦艦案
1912年に提案された7,600t海防戦艦案は1913年には排水量20,688tの戦艦9隻を整備する案に発展した。1番艦は1914年12月起工、1918年竣工を予定していたが、元々オランダにはそこまでの大戦艦を9隻も注文し代金を支払える国力も無く、程なく第一次世界大戦も始まった事により本計画は自然消滅した。
諸元
- 全長:184m
- 全幅:28m
- 吃水:9m
- 基準排水量:20,688トン
- 兵装:35.6cm 連装砲4基、15cm 単装砲16基、7.5cm 単装砲12基、50cm水中魚雷発射管5門
- 最大速力:22ノット
- 装甲
- 舷側装甲:250mm
- 甲板装甲:50mm
- 主砲塔装甲:250mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
- 同型艦:9隻
[編集] 1940年巡洋戦艦案
第一次世界大戦後、戦艦の建造について再び研究は進められた。だが、ワシントン海軍軍縮条約の結果、新たなる艦種重巡洋艦が登場し、また第一次世界大戦敗戦後の不況にあえいでいたドイツが装甲艦ドイッチュラント級を竣工させ、ドイツ海軍の再興が始まると状況は変わった。重巡洋艦の備砲は最大で8インチ=20.3cmであり、オランダの巡洋艦に広く採用されている15cm砲では射程距離が劣るため、アウトレンジされる可能性が高かった。海防戦艦は主砲が28.3cmであり重巡洋艦に火力の面では対抗出来るが、速力が遅いので自らの相手の有利な状況で戦闘を行うということは期待できなかった。そして28cm砲を主砲とするドイッチュラント級に対抗可能なオランダ戦闘艦は存在しなかった。それに加えて1930年代に極東における日本の勢力圏が拡大されるにつれて、危機感を抱いたオランダは1939年に巡洋戦艦の建造を計画し、1940年には計画が承認された。設計は国交関係修復の意味をこめてドイツに依頼した為に外観はシャルンホルスト級に似ていたが、船体構造はアメリカ式とイタリア式の混在で防御力もシャルンホルスト級よりも優れていた。本級が対抗すべき艦として想定されたのは戦艦ではなく、巡洋艦であった。その為、主砲には過去の海防戦艦で実績のある28.3cmを採用することになっていた。1944年までに3隻を建造する計画だったが、オランダがドイツの侵攻を受け占領されたことにより本案も実現することなく終わった。
諸元
- 全長:237.1m
- 全幅:30m
- 吃水:7.8m
- 基準排水量:27,950トン
- 常備排水量:28,065トン
- 満載排水量:30,960トン
- 兵装:28.3cm(45口径)3連装砲3基、12cm(45口径)連装砲6基、40mm連装機関砲7基、13mm連装機関銃又は20mm単装機関砲8基
- 機関:タービン4基4軸推進
- 最大出力:180,000HP
- 航続性能:20ノット/4,500海里
- 最大速力:34ノット
- 装甲
- 舷側装甲:250mm
- 甲板装甲:100mm(主甲板)、30mm(副甲板)
- 主砲塔装甲:250mm(前盾)、-mm(側盾)、-mm(後盾)、-mm(天蓋)
- パーペット部:250mm
- 司令塔:298mm
- 航空兵装:2機、カタパルト1基
- 乗員:1,050名
- 同型艦:3隻