オーストラリアの総督
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オーストラリアの総督(おーすとらりあのそうとく。英語:Governor-General of Australia)は、オーストラリアの元首たるイギリス国王の代理人である。現在ではオーストラリア政府が指名した人物を宗主国のイギリスの元首(すなわち国王)が任命することになっており、首都キャンベラに常駐する。憲法上はオーストラリア首相の罷免、オーストラリア議会上下院の解散の権限を有する。現在は名誉職とされる。
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[編集] 概要
イギリス国王がオーストラリアに滞在しているときは、その地位はオーストラリア国王になるが、国外にいる時は総督ではない。そのため、常時オーストラリアに王権がある事実のために国王の代理として総督が派遣され、首都に滞在することになる。
[編集] 連邦総督制度
19世紀までにはイギリスは植民地に6人の総督を派遣していたが、1901年に自治領オーストラリア連邦が発足すると、「連邦総督」というポストが生まれた。オーストラリア総督はその連邦総督の1つである。
これは名誉職であり、貴族や国会議員、高級官僚のキャリアに大きく資するものであった。この連邦総督というものはイギリス国王の代理であり、イギリスの国家主権を代表するもであった。そのため、「自治領オーストラリア政府」がイギリス本国を意思疎通を図るときは連邦総督を経由しなければならなかった。連邦総督はイギリス本国に対しては植民地省と協働し、イギリス本国の政策決定のオーストラリアへの伝達やオーストラリアの情報のイギリス本国への報告などをしていた。現状分析のレポートは毎月作成された。これらのレポートにはオーストラリアにおける最近の国情が政治・経済など多岐わたって記録されており、極秘扱いで植民地大臣の元へと送られた。これによってイギリスは、アメリカの独立の轍を踏まないように、巧みな植民地経営をおこなった。
[編集] オーストラリア人のオーストラリア連邦総督
1931年にはオーストラリア生まれのサー・アイザック・アイザックス高等法院(最高裁判所)長官が連邦総督に就任した(在任1931年-36年)。これはジョージ・スカリンオーストラリア首相の推薦を受けたものであり、オーストラリアの自治が進むと同時にイギリスの面子が維持されることとなった。
アイザックス以降5人の連邦総督は再びイギリス本国から任命派遣されたが、1965年にリチャード・ケーシーがオーストラリア政府の指名によって連邦総督に就任すると、このオーストラリア政府が指名した人物をイギリス国王が任命するという形式が確立されて今に至る。
[編集] 総督、首相を罷免
第2次世界大戦後はイギリスのオーストラリアへの影響力が低下するに従い、連邦総督の名誉職化が進行する。だが1975年にはジョン・カー連邦総督が憲法に規定に従いゴフ・ウィットラム首相を罷免する事件が発生し、いまだに植民地時代の憲法が効力を持っていることを、オーストラリア人は再認識するに至った。
これを契機にオーストラリア政府は政治的野心の少なく、穏健で、人々の尊敬を集めるような人物を連邦総督に指名する傾向が強くなった。
[編集] 「改憲、共和制」論争
ウィットラム首相の罷免劇を直面したオーストラリアでは憲法改正や共和制導入が議論されたが、いまだに連邦総督制度は残っている。
[編集] 歴代オーストラリア総督
代 | 期間 | 爵位、勲位など |
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1 | 1901年1月1日から1903年1月9日 | The Right Hon. John Adrian Louis Hope, 7th Earl of Hopetoun (from 1902, The Most Hon. Marquess of Linlithgow) KT, GCMG, GCVO, PC |
2 | 1903年1月9日 から1904年1月21日 | The Right Hon. ハーラン・テニソン, 2nd Baron Tennyson, GCMG, PC |
3 | 1904年 1月21日 から1908年9月9日 | The Right Hon. Henry Northcote, 1st Baron Northcote, GCMG, GCIE, CB, PC |
4 | 1908年 9月9日 から1911年7月31日 | The Right Hon. William Ward, 2nd Earl of Dudley, GCB, GCMG, GCVO, TD, PC |
5 | 1911年 7月31日 1914年5月18日 | The Right Hon. Thomas Denman, 3rd Baron Denman, GCMG, KCVO, PC, JP |
6 | 1914年5月18日 から1920年 10月6日 | The Right Hon. Sir Ronald Munro-Ferguson, GCMG, DL |
7 | 1920年 10月6日から1925年10月8日 | The Right Hon. Henry Forster, 1st Baron Forster, GCMG, PC, DL |
8 | 1925年10月8日から 1931年 1月21日 | The Right Hon. John Baird, 1st Baron Stonehaven, GCMG, DSO, PC, JP, DL |
9 | 1931年1月21日から1936年1月23日 | The Right Hon. Sir Isaac Alfred Isaacs, GCB, GCMG |
10 | 1936年1月23日 から1945年1月30日 | Brigadier-General the Right Hon. Alexander Hore-Ruthven, 1st Baron Gowrie, VC, GCMG, CB, DSO, PC |
11 | 1945年1月30日から1947年3月11日 | His Royal Highness The Prince Henry William Frederick Albert, Duke of Gloucester, KG, KT, KP, GCB, GCMG, GCVO |
12 | 1947年3月11日から1953年5月8日 | The Right Hon. Sir William John McKell, GCMG |
13 | 1953年5月8日から1960年2月2日 | Field Marshal the Right Hon. Sir William Joseph Slim, KG, GCB, GCMG, GCVO, GBE, DSO, MC |
14 | 1960年2月2日から1961年8月3日 | The Right Hon. William Morrison, 1st Viscount Dunrossil, GCMG, MC, QC, PC |
15 | 1961年8月3日から1965年5月7日 | The Right Hon. William Sidney, 1st Viscount De L'Isle, VC, KC, GCMG, GCVO, PC |
16 | 1965年5月7日から1969年4月30日 | The Right Hon. Richard Gardiner Casey, Baron Casey, KG, GCMG, CH, DSO, MC, PC |
17 | 1969年4月30日から1974年7月11日 | The Right Hon. Sir Paul Meernaa Caedwalla Hasluck, KG, GCMG, GCVO |
18 | 1974年7月11日から1977年12月8日 | The Right Hon. Sir John Robert Kerr, AK, GCMG, GCVO, QC |
19 | 1977年12月8日から1982年7月29日 | The Right Hon. Sir Zelman Cowen, AK, GCMG, GCVO, QC |
20 | 1982年7月29日から1989年2月16日 | The Right Hon. Sir Ninian Stephen, KG, AK, GCMG, GCVO, KBE, QC |
21 | 1989年2月16日から1996年2月16日 | The Hon. William George Hayden, AC |
22 | 1996年2月16日から2001年3月29日 | The Hon. Sir William Patrick Deane, AC, KBE |
23 | 2001年3月29日から2003年5月28日 | The Right Rev. Dr Peter Hollingworth, AC, OBE |
24 | 2003年5月28日から現在 | マイケル・ジェフリー少将, AC, CVO, MC (retired) |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- オーストラリア総督府
- The use of the reserve powers
- A Mirror to the People1999年のオーストラリア総督府でのドキュメンタリーフィルム(58分)。 Dir: Daryl Dellora. Features Sir William Deane, Sir Zelman Cowen, Sir Ninian Stephen. Special Commendation ATOM Awards.