カネム・ボルヌ帝国
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カネム・ボルヌ帝国は1200年頃から1840年代にかけてアフリカの内陸部歴史的スーダンの中央に存在した帝国。最盛期には支配領域が現在のリビア南部からチャド、ナイジェリア北東部、ニジェール東部に達した。
元の帝国はカネムと呼ばれ、サブサハラと中東の交易路に面したチャド湖周辺の首長国の連合から成立した。王朝は、イエメン人の英雄という伝承のあるセイフ=ビン=ディ=ヤザンの系譜をひく人物を名乗るフマイ(1075頃~1086頃)によって建国された。そのため、セイフ=ビン=ディ=ヤザンにちなんで王朝の名をセフワ朝とした。実は、ベルベル人の改宗者が王朝をひらくときは、しばしば、イエメンの血統を名乗ったこと、アル・イドリーシーの記録からもフマイの実際の血筋はベルベル人であった可能性が濃厚である。カヌリ人というグループが1100年代からカネムの領域に移住し、13世紀には周辺領域を征服するようになっていた。ドゥナマ・ディッバレミの時代(1221年 - 1259年)に、彼はカヌリ王で最初のムスリムへの改宗者となり、ジハードを宣言し周囲の民族を支配し征服による拡張期をつくった。