ガエターノ・シレア
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ガエターノ・シレア(Gaetano Scirea、1953年5月25日 - 1989年9月3日)は、イタリア・ナビリオ出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック)。
鋭い読みによるカバーリングなどの抜群の守備技術と豊富なスタミナ、さらには強烈なミドルシュートまでも装備していたイタリア史上最高のリベロ。ユヴェントスやイタリア代表では、ゴールキーパーのディノ・ゾフとともに鉄壁の守備陣を築き、ユヴェントスのUEFAチャンピオンズカップ優勝やアズーリのスペインW杯優勝の原動力となった。
1988年に現役を引退。翌1989年にはゾフのユヴェントス監督就任と同時に助監督に就任した。しかし同年9月、UEFAカップでユヴェントスと対戦する予定になっていたポーランドのゴルニク・ザブジェを視察し車で帰国する道中、交通事故に巻き込まれ36歳の若さで帰らぬ人となった。
ピッチの内外問わず温厚で紳士的な性格であったシレアは、現役生活の中で一度も退場処分を受けなかった。シレアの名はイタリア国内ではスポーツマンシップの代名詞として、若い世代の大会名やフェアプレー賞に冠されている。
没後、ユヴェントスのホームスタジアムであるスタディオ・デッレ・アルピの観客席の一角には、「Curva Scirea」と呼ばれるサポーター席が設けられている。
[編集] 所属クラブ歴
イタリア代表 - 1982 FIFAワールドカップ 優勝メンバー (3度目) | ||
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1 ゾフ | 2 バレージ | 3 ベルゴミ | 4 カブリーニ | 5 コッロヴァティ | 6 ジェンティーレ | 7 シレア | 8 ヴィエルコウッド | 9 アントニョーニ | 10 ドッセナ | 11 マリーニ | 12 ボルドン | 13 オリアリ | 14 タルデッリ | 15 カウジオ | 16 コンティ | 17 マッサーロ | 18 アルトベッリ | 19 グラツィアーニ | 20 ロッシ | 21 セルヴァッジ | 22 ガッリ | 監督: ベアルツォット |
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