コリントの信徒への手紙二
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新約聖書 |
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コリントの信徒への手紙二(英語:The Second Epistle of Paul The Apostle to the Corinthians)は新約聖書に収められた書簡の一つ。使徒パウロと協力者テモテからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である。コリント人への第二の手紙ともいわれる。先立って書かれた第一の書簡が「コリントの信徒への手紙一」である。「ニコリ」という略称が用いられることもある。
[編集] 概説
コリントスへの第一の手紙を記した後、パウロは小アジアの都市エフェソスを離れてマケドニア州へ向かうことにした。エフェソスでの宣教活動は成功を収め、それがためにパウロは反対者の活動によってエフェソスにいることが難しくもなっていたのである。エフェソスから陸路トロアスへ到着したパウロはそこから海路、マケドニア州へ入るつもりであった。しかし第一の書簡を運んでコリントスへ行っていたテトスとトロアスで合流しようというもくろみはうまく行かなかったので不安にかられた。しかしマケドニアのフィリピでテトスと再会することが出来、二人は喜び合った。パウロはテトスからコリントスの共同体の状況について聞くことができた。
研究者たちはこの書簡がフィリピかテサロニケで紀元58年の初頭にかかれたものと考えている。この手紙をコリントスへ届けたのはおそらくテトスであったろう。第一の手紙との違いは、この手紙はコリントスの共同体のメンバーのみならず、アカイア州の全域の共同体に宛てられた書簡であるということである。
[編集] 内容
全体の内容は以下のとおりである。
- 1章~7章:パウロの内面的困難、コリントスの信徒たちへの思い
- 8章~9章:慈善活動のすすめ、特にエルサレムの共同体支援の願い
- 10章~13章:パウロに対する批判への反論、コリントスの信徒への配慮、結びのあいさつ。
11章にはパウロの人生における困難の数々がリストアップされ、第12章では「第三天まであげられた」という神秘体験について、自分にあたられた「とげ」について述べられている。この書簡では他のどれよりもパウロが自分自身について多く語っている。コリントスの共同体がこのあと、どうなったのかはわからないが、『使徒言行録』20:2によればパウロはこのあと、コリントスを訪れて三ヶ月訪問し、同地で『ローマの信徒への手紙』を執筆している。