コロナティオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牝 |
---|---|
毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1946年 |
死没 | 没年不明 |
父 | ジョベル |
母 | エスメラルダ |
生産 | マルセル・ブサック |
生国 | フランス |
馬主 | マルセル・ブサック |
調教師 | C.H.センブラ |
競走成績 | 13戦6勝 |
コロナティオン(Coronation、英語ではコロネーション)は、フランスの競走馬。同父同士の配合という強烈なインブリード(近親交配)の結果生まれたが、凱旋門賞を制すなど活躍した。馬名は戴冠の意。
名前について、日本ではコロネーションと呼ばれてきたが、ここではフランス語により近いコロナティオンとした。イギリスでの登録名は過去に1841年エプソムダービー馬コロネーション等既に4頭の同名異馬がいたことからコロネーションV(Coronation V)となっている。なお、イギリスで行われるGIコロネーションカップやコロネーションステークスは、コロナティオン登場以前に創設されており全く関係ない。
目次 |
[編集] 背景
コロナティオンは近親交配の成功例、そして悲劇として長らく語られている存在である。父ジョベルの父はトウルビヨンであり、母エスメラルダの父もまたトウルビヨンであった。サラブレッドの世界では父が同じでも兄弟とは言わないが(競走馬の血縁関係参照)、それでも極めて危険なものである。強いインブリードは良質な劣性遺伝子をホモ化させる可能性が高くなるが、一方で、悪質な劣性遺伝子がホモ化する可能性も同じように上がるため、気性難を引き起こしたり体質が弱くなるなどの弊害が発生するとされている。コロナティオンの場合には、競走能力と引き替えに、神経質な気性・虚弱体質・子供が産めない等の形で現れていた。さらに最悪な場合には、生命の正常な仔が生まれなかったり、死産する可能性も考えられ、極端に強いインブリードは避けるべきと考えられている。
サラブレッド史上コロナティオンと同等か、それ以上の近親交配が試みられたことはあるが、コロナティオンの他に競走成績で優秀な物を収めた者は殆どいない。この極限の配合の結果生まれたコロナティオンは例外的な存在であるといえる。なお、同等の近親交配の結果生まれた馬が繁殖馬として成功したことは数例見受けられるが、これは正常な受精能力を持っていればの話であるが(コロナティオンは持っていなかった)、ホモ化された悪性遺伝子が再びヘテロ化されるためだと考えられる。サラブレッド史上、究極とも言える近親交配である1×2、つまり親と子の配合や、1×(1)の同血配合、つまり全兄弟同士の配合すらも試みられたことがあったが、こちらも草創期の一部例外を除き殆ど成功できていない。
コロナティオンの生産者マルセル・ブサックはこの禁忌に果敢にも挑戦し、他にも様々な超近親交配を行っている。多くは失敗に終わったが、コロナティオンはその中でも最高傑作ともいえ、優れた競走成績を残した。
[編集] 戦歴
強いインブリードの弊害か神経質で、体質も悪かったが馬体はすばらしいものを持っていたと言われている。地元のシャトー賞でデビューすると、落ち着きのないレース振りながら何とか1馬身差で勝った。ブサックはこの馬に強い期待を持ち、イギリスのロイヤルアスコットレースミーティングに遠征し、クインマリーステークスに出走させた。ここでもヴァルキリーに頭差で勝った。次走ロゼールパパン賞ではブラントームのレコードを2秒4も縮める大レコードを記録した。だが、この後のモルニ賞、シェヴェリーパークステークス共に集中力のないレース振りで敗れている。
3歳になると、ブサックのは大レースを目指し、まず初戦のプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニーに相当)に出走し、やはり集中力を欠いたレース振りだったが何とか1着同着に持ち込んだ。この後オークスに出走するがスタートから暴走してしまい2着、さらにアイリッシュオークスにも挑戦するが2着に敗れた。このことをブサックは悔しがり、何とかコロナティオンに大レースを勝たせようと画策した。そこで自分で世界最大のレースを作ってしまおうと考え、各方面に働きかけ凱旋門賞の賞金を大幅に増額させた。世界最高賞金のレースとなった凱旋門賞には世界各地から有力馬が集まった。レースでは珍しく落ち着いていたコロナティオンが直線突き抜け4馬身差で圧勝、ブサックの計画は大成功に終わった。翌年もコロナティオンは走っているが、ヴェルムー賞に勝ち、クインエリザベスステークスで2着した程度に終わっている。
コロナティオンは引退後も近親交配の弊害に悩まされることになる。10年以上も繁殖牝馬として供用されたが、死産、不受胎が続き、ついに一頭の産駒も残せなかった。もっとも、コロナティオンの全妹ジェラルダ、オルマラは仔を生んでおり、必ず異常が出るというわけではないようである。
[編集] 競走成績
1948年(5戦3勝)
- クインマリーステークス
1949年(4戦2勝)
- プール・デッセ・デ・プーリッシュ、凱旋門賞
1950年(4戦1勝)
[編集] 血統表
コロナティオンの血統(トウルビヨン系/Tourbillon2×2=50.00% Teddy4×4=12.50%) | |||
父
Djebel 1937 鹿毛 |
Tourbillon 1928 鹿毛 |
Ksar | Bruleur |
Kizil Kourgan | |||
Durban | Durbar | ||
Banshee | |||
Loika 1926 |
Gay Crusader | Bayardo | |
Gay Laura | |||
Coeur a Coeur | Teddy | ||
Ballantrae | |||
母
Esmeralda 1939 鹿毛 |
Tourbillon 1928 鹿毛 |
Ksar | Bruleur |
Kizil Kourgan | |||
Durban | Durbar | ||
Banshee | |||
Sanaa 1931 |
Asterus | Teddy | |
Astrella | |||
Deasy | Alcantara | ||
Dianna Vernon F-No.14 |
黄色に着色したところが、両親に共通する祖先。黄色の部分は血統表の実に半分以上を占めている。
カテゴリ: 1946年生 (競走馬) | サラブレッド | フランス生産の競走馬 | フランス調教の競走馬