コンベア240
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Convair-240 | ||
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要目一覧 | ||
運航乗員 | 4 | |
乗客 | 40(最大) | |
初飛行日 | 1947年3月16日 | |
全長 | 22.80m | |
全幅 | 28.00m | |
高さ | 8.20m | |
翼面積 | 75.9 m² | |
エンジン | プラット・アンド・ホイットニーR-2800-CB-17双発 | |
推進力 | 1,864 kW (2,500 hp)X2 | |
機体重量 | 11,540 kg | |
最大離陸重量 | 19,280 kg | |
最大速度 | 507 km/h | |
巡航速度 | 451 km/h | |
航続距離 | 1930km | |
実用上昇限界 | 7,620 m | |
総生産数 | 176機 |
コンベア240(Convair 240もしくはCV-240)は、1947年からアメリカのコンベア社によって生産されたレシプロ双発旅客機である。このコンベア240には胴体延長型としてコンベア340、コンベア440があり、一連のシリーズとしてコンベア240/340/440といった呼ばれかたをする場合もある。またそれぞれをターボプロップ化したコンベア580/600/640もあるが、本稿ではコンベア240についてのみ論述する。
目次 |
[編集] 開発の経緯
第二次世界大戦中に大量に生産された、ダグラスDC-3の買換えのために、1945年に与圧したキャビンを持つ旅客機としてアメリカン航空の求めに応じて開発計画がスタートされた。当初、コンベアは30人乗りの双発旅客機としてモデル110を開発し、1946年7月8日に初飛行したが、アメリカン航空は方針を転換し、より大型の40人乗りの開発を求めた。そのためモデル110は解体され、改めて開発されたモデル240はCV-240と称され、コンベア240の1号機は1947年3月16日に初飛行した。生産航空機は1948年2月28日に最初に引き渡され、ウエスタン航空、コンチネンタル航空などのアメリカの航空会社に176機が引き渡された。
[編集] 日本のコンベア240
日本では、1950年代に非幹線のローカル路線でコンベア240が17機運用されており、北日本航空、富士航空、日東航空、東亜航空が使用していた。ちなみに東亜航空以外の3社が1964年に合併して日本国内航空となり、これと東亜航空が1971年に合併して東亜国内航空となった。うち富士航空の1機が事故で抹消されている。(富士航空機墜落事故)
[編集] 軍用型
コンベア240は将官や戦傷者輸送のためにアメリカ空軍で運用され、C-131サマリタン(C-131 Samaritan)と称されていた。この後継機がC-9ナイチンゲール(DC-9)である。また、アメリカ空軍でもT-29として使われた。
[編集] エピソード
コンベア240は、アメリカ大統領選挙で候補者の専用航空機として初めて使われた機体でもある。1960年に、ジョン・F・ケネディがコンベア240”キャロライン”を利用しており、この機は、現在航空宇宙博物館で保存されている。