コンベンツァル聖フランシスコ修道会
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コンベンツァル聖フランシスコ修道会 (略称 OFM Conv.)はカトリックの修道会で、アシジのフランシスコが創設したフランシスコ会の一会派。
[編集] 日本での活動
1930年4月24日、ポーランドの修道会クラフク管区からマキシミリアノ・コルベ神父、ゼノ・ゼブロフスキ修道士、コンラド修道士が長崎に上陸した。その1か月後には、雑誌「無原罪の聖母の騎士」(現在の月刊「聖母の騎士」)を発行した。
なお、同神父に日本宣教を勧めたのは、当時ローマに留学していた里脇浅次郎神学生(後の長崎大司教、枢機卿)だと言われている。 コルベ神父は無原罪の聖母マリアを守護者とする聖母の騎士会 (M.I.) およびポーランドの聖母の騎士修道院の創設者で、「アウシュヴィッツの聖人」として知られている。
ポーランドにおける聖母の騎士会の活動が、出版などマスメディアを使った宣教活動に熱心だったため、修道会は日本でも聖母の騎士社の名称で出版活動を行っている。
最初の修道院は、大浦天主堂下にあった旧雨森病院の建物を使用していたが、その後に本河内水源地近くの山林を入手し、自前の修道院を建てた。
戦後は出版による布教活動のほか、神学校を起源とする初中等教育事業(仁川学院、聖母の騎士学園など)や福祉事業にも取り組んでいる。
また、1997年より那覇教区長を務めるベラルド押川壽夫司教はコンベンツァル会の出身で、日本管区長も歴任した。
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